【入来探索】日本昔話に出てきそうな茅葺屋根。「旧増田家住宅」完全解説!

こんにちは。日本昔話が大好きなスーグル(@vsoogle)です。

今回は入来麓武家屋敷群のシンボルマークである「旧増田家住宅」について紹介。

旧増田家住宅とは?

江戸時代までは延命院というお寺であったが、廃仏毀釈により廃寺となる。跡地に増田半右衛門氏が明治6年頃に居住。その時の住まいを復元したもの。

平成21年に東京大学名誉教授の増田寛次郎氏が、屋敷を薩摩川内市に寄贈され、市は3年かけて補修修理工事をし、平成25年4月に復元し公開した。

南九州特有の別棟棟型住宅(二棟作り)。お客様用のおもて(主屋)、家族の生活の場のなかえ(居間)、それをつなぐ「といのま」、濡れ縁、雨戸、茅葺屋根など明治時代の様子が伺える。大正7年に石蔵と浴室便器が建てられた。

このように明治から大正にかけての建築様式の変遷をうかがえるということで、平成26年12月10日に国の重要文化財に指定された。(薩摩川内市では建物が国指定重要文化財になるのは初めて。)

各所紹介

■母屋

おもてとなかえは南九州特有の建築文化。別棟棟型住宅。

①なかえ

なかえとは、家族の生活スペースのこと。居住件食堂として使用され、炊事等を行う土間があり、かまどなどが置かれていた。

土間には薩摩焼などが展示されている。

囲炉裏もある。

天井。

畳に上がると、様々な展示物がある。



②樋の間(といのま)

竹を組み合わせた樋でつながれている。その繋いだ部屋を樋の間と呼ぶ。床は板張り。それぞれの棟の雨水を竹樋で受けて流す。

ここでも展示物があり、説明があった。

③おもて


お客様を迎える部屋。主に接客空間として使用され、主人が普段生活する場。旧増田家住宅は、眼科医であったため、診察も行われていた。

西郷隆盛の書のレプリカが展示されている。

■洗い場

なかえから続いている。洗い場は基礎が石で作られており、入来麓ではこの様式は唯一。

清色城跡の土居からの湧水が多く、水神様のある場所から竹で水を引いていた。

■浴室便所

浴室便所は、腰下が石で作られている。

通常、風呂と便所は独立して建てられるが、徐々に不便を解消する為に共用として建てられるようになったと言われている。

ここのトイレは有田焼のトイレ。もちろん使用禁止だ。

■石蔵

大正七年四月竣工の名を1回基礎柱に確認できるとのこと。敷地入口(東)から見ると3階建てのように見えるが、母屋側(西)から見ると2階建てに見える。

1階は主に味噌や醤油などの貯蔵場所として使用されていた。

この石蔵に西郷隆盛の書や、展示されている各物品が保管されていた。以前、黎明館で展示された仏像も発見されている。

また、石蔵の中では旧増田家住宅保存修理の概要についての説明や、入来院氏の概要、入来麓の説明動画が見れる。

増田眼科で使用されていたレンズの展示もある。

■地蔵

昔からイボ地蔵として信仰されている。廃仏毀釈の影響に夜損傷が無く、ほぼ完全な姿で残されている。土台は別物。

歳の数だけ大豆をお供えすると、イボが治るらしい。治ってお礼参りに来られるかたもいらっしゃるとか。

隣には六地蔵塔がある。

■石敢當

丁字路など行き止まりの所に設置されており、魔除けの意味がある。

■その他

庭には手水鉢や、文字の書かれた石碑、不思議な形の石がある。

補足情報

○開館時間:午前九時から午後五時まで

○休館日:月曜日(月曜日が休日の場合は火曜日)と、十二月二十九日から翌年一月三日まで

○入館料:無料

○トイレ:屋外にトイレあり

MAP

おまけ

旧増田家住宅ペーパークラフトがある。

難易度は高いがぜひ挑戦して欲しい。

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「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしています。 【島津義弘公没後四百年記念事業「義弘見参プロジェクト」 / 鹿児島県薩摩川内市地域おこし協力隊 入来地域担当 / FMさつませんだい「薩摩川内ヒストリア」 / 「城郭符」】