吸血鬼はいつから美しくなった?|墓場の死者から貴族ヴァンパイアへ

吸血鬼と聞くと、どんな姿を思い浮かべるでしょうか。青白い肌、整った顔立ち、上品な服装。そして、どこか近寄りがたいのに目を離せない魅力を持った人物。

現在の小説や映画では、吸血鬼は「怖い怪物」であると同時に、美しい存在として描かれることが珍しくありません。しかし、ヨーロッパでかつて恐れられていた吸血鬼は、そんな存在ではありませんでした。墓から戻ってくる死者、亡くなった村人、腐敗しているはずなのに身体が膨らみ、口元に血のようなものが残っている死体。そこに「美しさ」は必要ありません。

では、なぜそんな怪物が、いつしか貴族になり、美しくなり、さらには人間が惹きつけられる存在になったのでしょうか。

最初に思い浮かぶのはドラキュラ伯爵かもしれません。ところが、この変化は『ドラキュラ』よりもずっと前に始まっていました。

今回は、墓場から戻る死者だった吸血鬼が、どのようにして「近づきたくなる怪物」へ変わっていったのかを追ってみます。

昔の吸血鬼は「美しい怪物」ではなかった

18世紀ヨーロッパで問題になった吸血鬼は、城に住む伯爵ではありませんでした。ペタル・ブラゴイェヴィチやアルノルト・パオレのように、少し前まで村で生活していた人間が死に、その後「墓から戻ってきた」と恐れられた存在です。

当時重要だったのは、墓を開けたときの死体の状態でした。思ったほど腐敗していない、身体が膨れている、口元に血のような液体がある。そうした現象が、「この死者はまだ活動している」という証拠と受け取られました。

つまり、古い吸血鬼の恐ろしさは顔が美しいかどうかではありません。

死んだはずの人間が、まだ生きているように見えること。

そこに恐怖があったのです。

1819年、吸血鬼は「墓場」から「社交界」へ移った

大きな転換が起きるのが1819年です。ジョン・ウィリアム・ポリドリの短編『吸血鬼(The Vampyre)』が発表されました。

そこに登場するルスヴン卿(Lord Ruthven)は、それまでの民間伝承の吸血鬼とはまったく違います。村の墓から出てくる死体ではなく、ロンドンの社交界へ現れる謎めいた貴族です。

物語冒頭のルスヴン卿は、死者を思わせる青白い顔と冷たい目を持ちながら、その顔立ちや謎めいた雰囲気によって人々の関心を集めます。女性たちは彼の注意を引こうとし、各家庭は彼を客として迎えようとします。

ここで吸血鬼に、新しい性質が加わりました。

人間を惹きつける力です。

ただし、ルスヴン卿を現代的な意味での「美男子吸血鬼」と考えるのは少し違います。彼は健康的で華やかな美男子ではなく、死者のような不気味さを残しています。

つまり最初に起きた変化は、単純な「美化」ではありませんでした。

魅惑化。そして、貴族化。

吸血鬼は、存在が分かれば逃げるべき怪物から、「危険なのに見てみたい、知ってみたい」と思わせる怪物へ変わり始めたのです。

その背後には、ロード・バイロンがいた

ルスヴン卿を考えるうえで欠かせない人物が、詩人ロード・バイロンです。

1816年、ポリドリはバイロンの侍医としてヨーロッパを旅していました。その年の夏、レマン湖畔にはバイロン、ポリドリ、パーシー・シェリー、メアリー・ゴドウィン(後のメアリー・シェリー)らが集まります。

悪天候の中で行われた怪談創作の試みから、後にメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』へ発展するアイデアが生まれました。バイロンも吸血鬼を思わせる未完の物語断片を書き、ポリドリの『吸血鬼』もこの出来事と深くつながっています。

さらに、ルスヴン卿にはバイロン自身のイメージが強く投影されていると考えられています。当時のバイロンは、貴族であり、有名詩人であり、反抗的な生き方や恋愛スキャンダルまで含めて人々の注目を集める存在でした。

危険だと分かっているのに、人々が知りたがる。

この「近づくべきではないのに惹かれる人物像」が、吸血鬼へ重ねられたのです。

なぜ「貴族」と吸血鬼は相性がよかったのか

吸血鬼が貴族になると、怪物としてできることも変わります。

貴族なら社交界へ入れる。人々の家へ招かれる。ヨーロッパを自由に旅できる。身分や教養を使って人間へ近づくこともできる。

つまり、吸血鬼は人間社会の外から襲ってくる怪物ではなく、社会の内部へ潜り込める怪物になりました。

さらに、他人の生命を奪って自分が生き続ける吸血鬼と、他者の労働や富によって暮らす上流階級を重ねて読むこともできます。ただし、ポリドリが単純な階級批判だけを目的としてルスヴン卿を作ったと考える必要はないでしょう。

ゴシック文学の貴族趣味、当時の階級社会、そしてバイロンという実在のスター。そうした複数の要素が重なり、貴族吸血鬼という新しい怪物が形作られていったと考えるのがよさそうです。

1872年、『カーミラ』で「美しい吸血鬼」がさらに近づく

次の大きな転換が、1872年に発表されたシェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』です。『ドラキュラ』より25年前の作品です。

主人公ローラの前に現れるカーミラは、はっきりと美しい女性として描かれます。細身で優雅な身体、美しく整った顔、大きく暗い瞳、長く豊かな髪。ローラ自身もカーミラに強く惹かれていきます。

そして重要なのは、二人の距離です。カーミラはローラの家に滞在し、一緒に過ごし、語り、触れ、愛情を示します。その一方で、ローラの生命を少しずつ奪っていく。

民間伝承の吸血鬼は墓から来る。ルスヴン卿は社交界へ入る。そしてカーミラは、被害者のすぐ隣で暮らす。

ここで美しさは単なる外見ではなく、警戒心を解き、人間との距離を縮めるための力になります。

吸血鬼は「襲ってくる怪物」から、親しくなってから襲う怪物へと変化していったのです。

原作のドラキュラ伯爵は「美男子」ではなかった

そして1897年、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』が登場します。

現在のドラキュラ伯爵といえば、若く端正な顔立ち、黒髪、マント、色気のある男性を想像するかもしれません。しかし原作でジョナサン・ハーカーが最初に出会うドラキュラは、背の高い老人です。

長い白い口ひげ、全身黒の服、冷たい手、鷲鼻、太い眉、鋭い白い歯。貴族的ではありますが、身体には死体や獣を思わせる異様さが残されています。

つまり、ストーカーが最初から「若く美しいドラキュラ」を描いていたわけではありません。原作の伯爵には、貴族的な洗練と怪物性が同居しているのです。

ただし、ドラキュラには後世の「永遠に若い吸血鬼」へつながる重要な特徴があります。

血を吸うことで若返ることです。

ハーカーが城の地下で伯爵を発見した場面では、白かった髪や口ひげが暗くなり、頬には膨らみと赤みが戻ったように描かれます。後にヴァン・ヘルシングも、吸血鬼は生者の血を得ることで若返り、生命力を回復できると説明します。

以前の記事で扱った「血=生命」という考え方が、ここでは若さの回復として現れているのです。

吸血鬼の歴史は「醜い→美しい」の一本道ではない

ここまでを見ると、吸血鬼が時代とともに少しずつ美しくなったようにも思えます。

しかし、実際にはそれほど単純ではありません。

ルスヴン卿は魅惑的ですが、死者のような顔をしている。カーミラは明確に美しい。ドラキュラ伯爵は貴族的でありながら、身体にはかなり怪物的な特徴が残っています。

さらに1922年の映画『ノスフェラトゥ』では、オルロック伯爵が細長い身体、禿げた頭、尖った耳、長い爪という、むしろ異形の怪物として描かれました。

つまり、吸血鬼史は「醜い怪物が少しずつ美男子になった」という一本道ではありません。

魅力と嫌悪。美しさと怪物性。

その二つが行き来しながら、吸血鬼像は変化していったのです。

1931年、ベラ・ルゴシが「エレガントなドラキュラ」を定着させる

現在の「上品なドラキュラ像」を考えるうえで、文学と同じくらい重要なのが舞台と映画です。

1931年、ユニバーサル映画の『魔人ドラキュラ』で伯爵を演じたのがベラ・ルゴシでした。

ルゴシは映画以前に、ブロードウェイの舞台版『ドラキュラ』で何百回も伯爵を演じています。原作小説よりも滑らかで魅力的なドラキュラ像は舞台で強まり、ルゴシによって映画へ持ち込まれました。

黒いマント、夜会服、整えられた髪、優雅な振る舞い、独特の話し方。そして相手を見つめる強い視線。

こうした要素によって、原作に残っていた身体的な醜怪さは後景へ退きます。

怪物なのに紳士。危険なのに上品。

現在まで続く「ドラキュラらしい姿」の大きな基礎が、ここで作られました。

1958年、クリストファー・リーが「危険な色気」を加える

さらに1958年、ハマー・フィルムの『吸血鬼ドラキュラ』でクリストファー・リーが伯爵を演じます。

長身で圧倒的な存在感を持つリーのドラキュラには、ルゴシとは異なる肉体的な迫力がありました。さらにカラー映画になったことで、牙や鮮やかな赤い血も強く印象づけられます。

ここでドラキュラは、上品な伯爵であるだけではなく、身体的・性的な魅力を持つ危険な怪物へと変わっていきます。

ルスヴン卿から始まった「危険なのに惹かれる」という性質が、映像によってさらに強く表現されるようになったのです。

「美しさ」は、吸血鬼が人間へ近づくための力になった

こうして見てくると、吸血鬼の美しさは単なる見た目の問題ではないことが分かります。

吸血鬼は、人間へ近づかなければなりません。家へ入る。寝室へ入る。首筋まで近づく。そして血を吸う。

だからこそ、見た瞬間に逃げられる怪物よりも、人間の側から近づいてしまう怪物の方が恐ろしい。

身分、話術、美貌、色気、親密さ。そうした魅力はすべて、人間との距離を縮めるための力になり得ます。

吸血鬼に「美しさ」が加わったことで、恐怖は「襲われること」だけではなくなりました。

自分から怪物へ近づいてしまうこと。

そこにも恐怖が生まれたのです。

1976年、吸血鬼は「感情移入する怪物」へ

20世紀後半には、もう一つ大きな変化が起こります。

1976年、アン・ライスの『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』が発表されました。

ここでは、人間が外から吸血鬼を観察するだけではありません。吸血鬼自身が、不死であること、人を殺すこと、孤独、愛、罪悪感、永遠に生き続ける苦しみを語ります。

吸血鬼は「美しい怪物」であるだけではなく、美しく、苦悩し、読者が感情移入できる主人公になりました。

この流れは21世紀にも続きます。『トワイライト』などに代表される作品では、吸血鬼は恐怖の対象である以上に、恋愛や欲望の対象として描かれるようになります。

しかし、その長い系譜をたどっていけば、1819年のルスヴン卿まで戻ることができます。

吸血鬼は「美しくなった」のではなく、「惹きつける怪物」になった

ここまで見てくると、「吸血鬼はいつから美しくなった?」という問いを、少し言い換えた方がよいのかもしれません。

吸血鬼は、ある瞬間を境に突然美男美女になったわけではありません。

最初に大きく変わったのは、人間との距離でした。

墓の中にいた死者が、社交界へ入る。人間と会話する。家へ入る。友人になる。恋人のように振る舞う。そして、人間の側から吸血鬼へ近づくようになる。

だから本当の転換は、

「醜い怪物」から「美しい怪物」ではなく、「逃げるべき怪物」から「近づきたくなる怪物」への変化

だったのではないでしょうか。

ポリドリのルスヴン卿が与えた貴族性と魅惑。『カーミラ』が加えた親密さ。『ドラキュラ』の貴族性と怪物性。舞台と映画が作ったエレガントな伯爵像。クリストファー・リーの危険な色気。そしてアン・ライス以降の内面と苦悩。

現在の「美しい吸血鬼」は、200年以上かけて作られてきた怪物なのです。

吸血鬼はいつから美しくなったのか

最後に、最初の問いへ戻ります。

吸血鬼はいつから美しくなったのでしょうか。

一つの大きな転換点を挙げるなら、1819年。ジョン・ウィリアム・ポリドリの『吸血鬼』です。

ルスヴン卿によって、墓場の死者だった吸血鬼は、社交界へ入り込む魅惑的な貴族へ変わりました。

1872年の『カーミラ』では、美しい吸血鬼と人間との距離がさらに縮まり、親密さそのものが恐怖になります。1897年の『ドラキュラ』では、貴族的な魅力と死体・獣のような怪物性が同居し、血によって若返るという性質も描かれました。

1931年のベラ・ルゴシは、ドラキュラをエレガントな誘惑者として映画文化に定着させ、1958年のクリストファー・リーはそこへ肉体的で危険な魅力を加えます。そしてアン・ライス以降、吸血鬼は「人間が恐れる怪物」だけではなく、人間が感情移入し、憧れ、愛することのできる存在へ変わっていきました。

つまり、吸血鬼は単に美しくなったのではありません。

人間を惹きつけられる怪物になった。

墓場から戻ってくる死体だった怪物が、私たちのすぐ隣まで近づくために手に入れたもの。

それが、美しさだったのかもしれません。

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