古代メソポタミアにも幽霊はいたのか?|死者に水を捧げ続けた人々

古代メソポタミアでは、人は死んだあとも水を必要とすると考えられていました。

亡くなった家族には食べ物を供え、水を注ぐ。それは単に故人を思い出すためだけの行為ではありません。死者は地下の世界で存在し続け、食べ物や水を必要とする。だから、生きている家族が死者を支え続ける必要があったのです。

では、もし水を捧げる人が誰もいなくなったら、その死者はどうなるのでしょうか。

古代メソポタミアの文献には、供物を受け取れない死者や、正しく葬られなかった死者が、生者にとって危険な存在になり得るという考えも残されています。

今回は、古代メソポタミアの死者の霊と、死者へ食物や水を供える「kispu(キスプ)」を手がかりに、彼らが「幽霊」をどのように捉えていたのかを見ていきます。

古代メソポタミアにも「幽霊」はいたのか?

最初に、「幽霊」にあたる存在から見てみます。

古代メソポタミアでは、人が死ぬと、その人の何かが完全に消えてしまうとは考えられていませんでした。シュメール語ではGIDIM、アッカド語ではeṭemmu(エテムム)と呼ばれる死者の霊が存在すると考えられていました。

Oxford Classical Dictionaryでは、eṭemmuは英語で「ghost」と説明されています。死者は適切に葬られたあと、地下の死者世界へ入り、そこで存在を続けると考えられていました。

ただし、eṭemmu=人間を襲う怖い幽霊、ではありません。 普通に亡くなり、正しく葬られた人もeṭemmuになります。死者の霊になること自体は、異常な出来事ではありませんでした。

問題になるのは、その死者が正しく葬られなかったり、生きている家族から必要な供養を受けられなくなったりした場合です。

なお、「古代メソポタミア」と一言でいっても、シュメール、アッカド、バビロニア、アッシリアなど、長い時代と広い地域を含みます。死者観もすべての時代・地域で完全に同じだったわけではありません。この記事では、残された文献や研究から見える大きな傾向として、死者と生者の関係を追っていきます。

死者は地下の世界へ向かった

古代メソポタミアには、死者が向かう地下世界についてさまざまな文献が残されています。

そこはエレシュキガルなどの神々と結びつく死者の領域で、一度入れば簡単には戻ることのできない世界として描かれました。

ここで特徴的なのは、後世の「善人は天国へ、悪人は地獄へ」という発想とはかなり違うことです。

古代メソポタミアの死後世界では、基本的に死者は地下世界へ向かいます。そして、そこでどのような状態で存在するかには、葬送や死後に受ける供養も関係していたと考えられています。

つまり、生きている家族が死者の状態に関わっていたのです。古代メソポタミアでは、死によって家族との関係が完全に終わるわけではありませんでした。むしろ、死んだあとに新しい関係が始まったともいえます。

死者を養う「kispu」

死者と生者を結んでいた重要な行為の一つが、kispu(キスプ)です。

kispuは、死者に対して定期的に食物や飲み物を供える行為や、その供物を指すアッカド語です。日本の研究では「死者供養」と訳されることもあります。

シカゴ大学の古代中東研究所が刊行した『In Remembrance of Me』では、kispuのもっとも基本的な形として、水や穀粉などを死者へ供えることが紹介されています。こうした祖先への供養は家庭の中で行われ、家を継ぐ者がその責任を担うこともありました。

日本のアッシリア学者・渡辺和子も、古代メソポタミアでは死者の霊が地下世界で存在し続け、その生活が生きている家族から定期的に供えられる食物や飲み物に依存すると考えられていたことを指摘しています。

つまり、生者は食べ、飲む。死者もまた、食べ、飲む。 違うのは、その食物と水を自分では手に入れられないことです。死者の生活を支えるのは、生きている家族でした。

なぜ死者に「水」を捧げたのか

古代メソポタミアの死者観を見ていると、特に「水」が繰り返し登場します。

死者の霊は、死後も飢えや渇きを感じる存在として捉えられていました。そのため、食物だけでなく水を供えることが重要だったのです。

シュメール文学『ギルガメシュ、エンキドゥと冥界』にも、水と死者との関係を思わせる場面があります。この作品では、ギルガメシュが冥界を見たエンキドゥに、「さまざまな死者が死後どのような状態にあるのか」を尋ねます。

ある死者は水を飲んでいる。ある死者は食物を受け取っている。そして別の場面では、ギルガメシュが父と母に「清らかな水を飲め」と呼びかけます。

死者へ水を届けるという行為は、単なる象徴ではなく、死後も続く死者の存在を支える行為として理解されていたのでしょう。

供物を受け取れない死者は、何を食べたのか

『ギルガメシュ、エンキドゥと冥界』には、さらに印象的な場面があります。

ギルガメシュはエンキドゥに、供物を受け取る人がいない死者はどうしているのかと尋ねます。エンキドゥが語るその姿は、かなり厳しいものです。

その死者は、通りに捨てられた食べ残しやパンくずを食べていると描かれています。

死後の世界でさえ、すべての死者が同じ状態にあるわけではありませんでした。生者から食物や水を届けてもらえる死者もいる一方で、それをしてくれる家族がいない死者もいる。

この物語をそのまま当時の社会制度の記録として読むことはできません。しかし、「誰かが死者を供養してくれるかどうか」が、死後の状態を考えるうえで重要だったことはよく分かります。

死者にとって怖いことは、死ぬことだけではありません。生きている人から忘れられること。 それもまた、大きな問題だったのかもしれません。

子孫がいることは、死後の自分にも関係した

『ギルガメシュ、エンキドゥと冥界』では、子どもの数と死後の状態を結びつけるような場面もあります。

ギルガメシュが「息子が一人いる者」「二人いる者」「三人いる者」と順番に死後の様子を尋ねていくと、エンキドゥはそれぞれの状態を語ります。子どもが多いほど、比較的よい状態で描かれる箇所もあります。

もちろん、これは文学作品です。「メソポタミアでは子どもが七人いれば死後は必ず幸福になれた」というような制度があったわけではありません。

それでも、なぜ子どもの数が死後の世界を語る物語に登場するのでしょうか。

一つの背景には、死者を供養する役割を子孫が担っていたことがあります。自分が死んだあと、誰が食物を供えてくれるのか。誰が水を注いでくれるのか。誰が自分の名前を覚えていてくれるのか。

子孫を残すことは、生きている間の家族形成だけでなく、自分が死者となったあとの存在にも関わっていたのでしょう。

では、なぜ幽霊は戻ってきたのか

ここまで見てきたeṭemmuは、基本的には死者なら誰もがなり得る存在でした。

では、私たちが想像するような「怖い幽霊」は、どこから現れるのでしょうか。

古代メソポタミアの文献では、正しく葬られなかった死者や、必要な供養を受けられなくなった死者の霊が、生者を苦しめる存在になる場合があると考えられていました。

Oxford Classical Dictionaryでも、葬送が行われなかったり、死者への祭祀が怠られたりすると、死者の霊が落ち着かず、生者に害を与える存在になり得たことが説明されています。

ここで重要なのは、幽霊が怖いのは「死者だから」ではないという点です。

正しく葬られる。地下世界へ向かう。生きている家族から必要な供物を受け取る。この関係が保たれていれば、死者は死者として存在できます。

しかし、その秩序が崩れたとき、死者が生者の側へ戻ってくる可能性が生まれる。古代メソポタミアの幽霊を考えるうえでは、この「秩序」が重要なキーワードになりそうです。

幽霊は病気を引き起こすこともあった

古代メソポタミアの死者の霊は、単に夜中に姿を見せて人を驚かせる存在ではありませんでした。

病気や身体の不調が、「死者の霊によるもの」と考えられる場合もありました。

メソポタミアの医療・呪術文書を研究したJoAnn Scurlockは、『Magico-Medical Means of Treating Ghost-Induced Illnesses in Ancient Mesopotamia』の中で、幽霊によって引き起こされたと考えられた症状と、それに対する多数の治療・儀礼を整理しています。

ここで現代の「医療」「宗教」「魔術」という区分をそのまま当てはめるのは難しいでしょう。当時の人々にとって、身体の症状と超自然的な原因は、必ずしも別々の問題ではありませんでした。生者の身体に起きた異変の向こうに、死者との関係が見られることもあったのです。

戻ってきた死者をどうしたのか

では、問題を起こす死者の霊に対して、人々はどうしたのでしょうか。

方法は一つではありません。死者へ供物を与える。適切な葬送を行う。呪文や儀礼を用いる。必要に応じて、専門家が霊に対処する。

大英博物館のアッシリア学者Irving Finkelも、古代メソポタミアでは適切に埋葬されなかった死者が生者のもとへ戻ってくると考えられ、そうした彷徨う霊を鎮めるための専門的な呪術が存在したことを紹介しています。

ここでも、「幽霊を倒す」という発想とは少し違います。問題を起こしている死者を、もう一度「正しい死者の状態」に戻す。そう考えた方が近いのかもしれません。

死者を忘れないことには、意味があった

古代メソポタミアの死者観を調べていると、「死者を覚えている」ということが現代とは少し違った意味を持っていたように感じます。

私たちも亡くなった人の墓を訪れたり、食べ物や花を供えたりします。しかし、メソポタミアの死者祭祀では、生きている家族からの供物が死者の状態そのものに関係していました。

水を注ぐ人がいる。食物を供える人がいる。死者を家族の一員として扱い続ける人がいる。それによって、死者は死者としての場所に存在できる。

逆に、それが失われれば、死者は苦しい状態に置かれると考えられました。

もちろん、「忘れられた死者は必ず幽霊になった」と単純に言うことはできません。しかし、死者への供養が途絶えることと、落ち着かない死者への恐れがつながっていたことは、残された史料から見えてきます。

そう考えると、死者を忘れないことは、死者のためだけではありません。生者と死者の関係を安定させるためでもあったという見方ができそうです。

エジプトの「死者への手紙」と何が違うのか

前回、古代エジプトの「死者への手紙」を調べました。

古代エジプトにも幽霊はいたのか?|死者に手紙を書いた人々

古代エジプトでは、亡くなった父や母、妻などに手紙を書き、財産問題や病気について助けを求める例が残されています。死者は、生者が頼ることのできる家族でもありました。

一方、古代メソポタミアでは、生きている家族が死者へ食物や水を供え、その存在を支え続けるという関係が強く見えてきます。

もちろん、これは「エジプト人は死者に助けてもらい、メソポタミア人は死者を養うだけだった」という単純な違いではありません。メソポタミアにも死者との接触や、死者の力を利用する考えは存在します。

それでも今回見てきた史料を比べると、古代エジプトでは死者へ助けを求め、古代メソポタミアでは死者へ食物と水を届けるという、それぞれの特徴が見えてきます。

共通しているのは、人が死んでも、家族との関係は終わらないということです。

では、古代メソポタミアにも「幽霊」はいたのか?

最初の問いに戻ります。

古代メソポタミアにも「幽霊」はいたのでしょうか。

答えは、「いた」と言ってよい。ただし、私たちが想像する幽霊とは少し違うと思います。

古代メソポタミアでは、人は死後にeṭemmuという霊として存在すると考えられていました。それ自体は異常ではありません。

正しく葬られ、家族から食物や水を受け取り、地下世界で存在する。これが死者の通常の状態でした。

しかし、死者が正しく葬られない。供養する家族がいない。食物や水を受け取れない。そうした問題が起きると、死者の霊が落ち着きを失い、生者に災いをもたらす存在になることがありました。

つまり、メソポタミアの幽霊を理解するには、「なぜ死者は戻ってきたのか」だけではなく、「生者と死者の関係のどこが壊れたのか」と考える必要がありそうです。

おわりに|死者に水を捧げ続けるということ

古代メソポタミアの人々は、亡くなった家族へ食物を供え、水を注ぎ続けました。

死者は地下世界へ行ったから、もう関係ない。そう考えたわけではありません。

死者はそこにいる。食べ物を必要としている。水も必要としている。だから、生きている自分たちが届けなければならない。

そして、その関係が正しく保たれることで、死者も生者もそれぞれの場所で存在することができる。

そう考えると、死者への供養とは、単に亡くなった人を思い出す行為ではありません。生者と死者の世界の秩序を保つ行為だったのかもしれません。

古代ギリシャでは、死者は触れることのできない「影」として描かれました。古代エジプトでは、死者に手紙を書きました。そして古代メソポタミアでは、死者に食物と水を届け続けました。

時代も文化も違うのに、人々は「死んだ人は完全にいなくなるのか」という同じ問いに、それぞれ異なる答えを与えています。

古代の「幽霊」を追っていると、怪談だけではなく、人間が死者との関係をどのように作ってきたのかが見えてくるように思います。

次は、古代中国。

そこでは「鬼」という言葉と、家族を守る「祖先」が、同じ死者の世界の中に存在していました。

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古代の幽霊シリーズ

参考文献・参考資料

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