古代インドにも幽霊はいたのか?|死者が「祖先」になるまで

人が亡くなれば、その人は「祖先」になる。

私たちは何となく、そう考えてしまいます。

しかし古代インドの死者儀礼を調べていくと、もう少し複雑な世界が見えてきます。

死んだ人は、死んだ瞬間から完成された「祖先」になるわけではありませんでした。葬送を行い、食物を供え、死者のための儀礼を続ける。その過程を経て、死者はやがて祖先たちの中へ組み込まれていきます。

では、その途中にいる死者は何者だったのでしょうか。

古代インドには、亡くなった者を表すpreta(プレータ)という言葉があります。後世、この言葉は仏教を通じて「餓鬼」として知られるようになりますが、最初から飢えに苦しむ怪物を意味していたわけではありません。

今回は、古代インドのpreta、祖先を意味するpitṛ(ピトリ)、そして死者へ食物を供える儀礼を手がかりに、「死者が祖先になるまで」を見ていきます。

古代インドにも「幽霊」はいたのか?

まず、pretaという言葉から見てみます。

サンスクリットのpretaは、「去った」「亡くなった」という意味を持つ言葉です。

古いヴェーダ文献では、pretaは基本的に「亡くなった者」を指しており、現在私たちが想像する「幽霊」という意味が最初からあったわけではありません。死者の霊や幽霊としての意味が強くなっていくのは、後代の文献です。

つまり、

preta=古代インドの幽霊

と、そのまま置き換えるのは少し乱暴です。

一方、後のブラーフマナ的な死者儀礼では、亡くなったばかりの死者と、すでに祖先として祭祀を受けている死者が区別されるようになります。

そこから見えてくるのが、

死者は「死んだ人」から「祖先」へ移行していく

という考え方です。

古代インドの「祖先」――pitṛとは何者だったのか

祖先を表す重要な言葉が、pitṛ(ピトリ)です。

もともとは「父」を意味する言葉で、複数形では父祖、祖先たちを指します。

祖先祭祀の伝統は非常に古く、『リグ・ヴェーダ』にもpitṛたちへ捧げられた讃歌が残されています。

第10巻第15讃歌では、祖先たちが呼びかけられ、供物を受け取り、生きている子孫を守ることが願われています。

つまり、ヴェーダ時代から祖先は完全に消え去った存在ではありませんでした。

生者から供物を受け取り、子孫へ恩恵を与える存在として考えられていたのです。

ただし、ここで重要なのは、

すべての死者が、そのままpitṛになるわけではない

という点です。

古代インドの祖先祭祀を研究したPatrick Olivelleは、血縁者であることと死んでいることだけでは、儀礼上の「祖先」になるための十分な条件ではなかったと指摘しています。

祖先とは単に「昔亡くなった親族」ではなく、生者とのあいだに特定の祭祀的な関係を持つ死者でもあったのです。

死者へ食物を供える「śrāddha」

死者と祖先を結ぶ重要な儀礼が、śrāddha(シュラッダ)です。

śrāddhaは祖先に食物や飲み物を供える祭祀で、古いヴェーダ祭祀を背景としながら、グリヒヤ・スートラなどの家庭祭式文献の中で形を整えていきました。

古代インドの祖先祭祀を研究したMatthew R. Sayersによれば、śrāddhaは後にブラーフマナ的な祖先祭祀の中心的な形式となっていきます。

ここで興味深いのは、単に亡くなった人を「思い出す」のではないことです。

食物を用意する。

水を捧げる。

死者のための儀礼を行う。

生きている家族が行動することによって、死者と祖先との関係が作られていきます。

古代インドでも、死後の世界は死者だけの問題ではありませんでした。

生きている人間が、死者のその後に関わっていたのです。

死者に米の団子を供える

祖先祭祀で特徴的なのが、piṇḍa(ピンダ)と呼ばれる団子状の供物です。

後世の儀礼では米などから作られ、死者や祖先へ捧げられます。

死者へ食物を供えるという点では、これまで見てきた古代メソポタミアとも似ています。

メソポタミアでは、死者は地下世界で食物や水を必要とすると考えられ、生きている家族がそれを届け続けました。

インドでも祖先へ食物を供えることは重要でしたが、やがてそこにはもう一つの意味が強く現れます。

死者を、祖先の集団へ組み込むこと。

食物は、死者との関係を維持するだけでなく、死者の状態を変化させる儀礼の一部にもなっていったのです。

死者が「祖先」になる儀礼

後のブラーフマナ的な儀礼体系では、この変化を象徴する重要な儀礼が現れます。

sapiṇḍīkaraṇa(サピンディーカラナ)です。

細かな作法や行われる時期は文献や伝統によって異なりますが、その基本的な意味は、新しく亡くなった者を既存の祖先たちの中へ組み込むことにあります。

Sayersが扱うグリヒヤ・スートラの儀礼では、新しい死者と三代の祖先それぞれのために供物を用意し、それらを結び合わせることで、死者を祖先の側へ移していきます。

ここで起きていることは、とても興味深いものです。

昨日まで生きていた人が死ぬ。

しかし、まだ祖先ではない。

残された家族が死者のために儀礼を行う。

そして、やがて祖先たちの中に加わる。

つまり、

祖先とは「死んだ人」ではなく、「祖先になった死者」

とも言えるのです。

死とは、一瞬ではなく「過程」だった?

この考え方から見ると、古代インドの「死」は少し違って見えてきます。

肉体が死ぬ。

火葬などの葬送が行われる。

死者へ供物が捧げられる。

儀礼が続けられる。

そして祖先の中へ組み込まれていく。

死とは、生者から死者へ一瞬で切り替わる境界というより、複数の段階を通って死者としての場所を得ていく過程だったのかもしれません。

この「あいだ」にいる死者を考えると、今回のテーマである「幽霊」にも近づいてきます。

生者ではない。

しかし、まだ祖先として安定した場所を得ているわけでもない。

死者は、その境界を通過していく存在でもあったのです。

儀礼を受けられない死者はどうなったのか

では、死者のための儀礼が行われなかったらどうなるのでしょうか。

この問いは慎重に扱う必要があります。

「古代インドでは、供養されなかった死者は必ず幽霊になった」と単純に言うことはできません。古代インドといっても長い時代があり、ヴェーダ文献、家庭祭式文献、法典、叙事詩、プラーナ文献などでは死者についての説明も変化していきます。

ただし、後代のブラーフマナ的な儀礼体系では、祖先として安定した位置へ移行する前の死者は、pitṛとは区別された状態にあります。

そこでは、死者が自力だけで祖先になるのではありません。

生きている家族が儀礼を行うことで、死者を送り届ける。

この発想が重要です。

もしその過程が完成しなければ、死者は生者と祖先のあいだに残ることになります。

これまでの「古代の幽霊」シリーズでも、似た構造が何度も現れていました。

古代ギリシャでは、埋葬されていないエルペノールが葬送を求めました。古代メソポタミアでは、供養を受けられない死者が不安定な存在になり得ました。古代中国では、「帰るところ」を持たない鬼が人に害を与えると考えられていました。

文化は違っても、

危険なのは「死者」そのものではなく、死者が本来あるべき場所へ移れないことなのではないか。

そんな共通点が少しずつ見えてきます。

śrāddhaは「死者を忘れない儀礼」なのか

祖先となったあとも、生者と死者の関係が終わるわけではありません。

śrāddhaは繰り返し行われ、祖先へ食物や飲み物が供えられます。

Olivelleは、祖先であるということを、生者と死者とのあいだに成立する儀礼的な関係として捉えています。

この考え方はとても興味深いものです。

祖先は、単に過去に生きていた人ではありません。

生きている人々が名前を記憶し、食物を供え、儀礼を続けることで、「祖先」としての関係も続いていく。

つまり、

死者のあり方を決めているのは、死者だけではない。

生者が死者をどう扱うかによって、死者の位置も変わっていくのです。

輪廻するなら、「祖先」はどこにいるのか

ここで、一つ大きな疑問が出てきます。

古代インドといえば、輪廻転生を思い浮かべる人も多いでしょう。

人が死後に別の生命へ生まれ変わるのであれば、祖先として供物を受け取っている死者はどこにいるのでしょうか。

実は、この二つの考えは単純には整理できません。

インドでは祖先祭祀の伝統が非常に古く存在する一方、ウパニシャッドや仏教、ジャイナ教などを通じて輪廻や業の思想も発達していきました。

しかし、輪廻思想が広まったからといって、祖先祭祀が消えたわけではありません。

Sayersも、輪廻と強く結びつけられるインド宗教において、祖先祭祀が長く維持され続けてきたことを重要な問題として扱っています。

これは、「古代人は一つの完全に矛盾のない死後世界だけを信じていた」と考えない方がよいことを教えてくれます。

複数の死後観が重なり、時代とともに組み替えられていったのです。

pretaは、いつ「餓鬼」になったのか

日本では、pretaというサンスクリット語よりも「餓鬼」という言葉の方が身近かもしれません。

仏教では、pretaは飢えや渇きに苦しむ存在として発展し、漢訳仏典では「餓鬼」と訳されるようになります。

しかし、このイメージをそのまま古いインドへ持ち込むことはできません。

古いヴェーダ文献でpretaは、まず「亡くなった者」を意味しました。

Adeana McNichollの研究では、仏教におけるpretaが、南アジアに存在した死者・祖先をめぐるさまざまな考えを取り込みながら、徐々に独立した再生先に生まれる存在として形作られていった過程が論じられています。

つまり、

「亡くなった者」から「餓鬼」へ。

pretaという言葉そのものも、死者観の変化とともに意味を変えていったのです。

この流れは、それだけで一つの記事になりそうなので、今回はここまでにしておきます。

中国の「鬼と祖先」と何が違うのか

前回は、古代中国の死者について調べました。

古代中国にも幽霊はいたのか?|「鬼」と祖先のあいだ

『左伝』に登場する伯有の鬼に対して、子産は「鬼には帰るところがあれば、厲にはならない」という趣旨の言葉を語りました。

中国では、死者を祖先として家族や一族の秩序の中に位置づけ、「帰るところ」を持たせることが重要でした。

インドにも似た構造があります。

ただし、今回見てきたブラーフマナ的な死者儀礼では、死者が儀礼を通じて祖先の集団へ移行していくことが、よりはっきりと見えてきます。

整理するなら、

古代中国では、死者に「帰る場所」を与える。

古代インドでは、儀礼によって死者を「祖先」へ送る。

もちろん、実際の両文化はこれほど単純ではありません。

それでも、「死者がどのように安定した場所を得るのか」という点から比較すると、それぞれの特徴が見えてきます。

では、古代インドにも「幽霊」はいたのか?

最初の問いに戻ります。

古代インドにも「幽霊」はいたのでしょうか。

答えは、少し慎重に考える必要があります。

pretaという言葉は、古い文献ではまず「亡くなった者」を意味し、後世になるほど死者の霊や幽霊に近い意味を持つようになります。さらに仏教では、餓鬼という独自の存在へと発展していきました。

一方で、祖先pitṛは、単に亡くなった親族というだけではありません。

供物を受け、祭祀され、生者との儀礼的な関係の中に置かれた死者でした。

そう考えると、古代インドの死者観で特に面白いのは、

「幽霊」と「祖先」が最初から完全に別の存在だったわけではない

ということです。

死んだ者が、儀礼によって祖先としての場所を得ていく。

その途中に、「まだ祖先ではない死者」という状態が存在する。

現代の「幽霊」という言葉をそのまま当てはめることはできませんが、そこには確かに、生者と祖先のあいだにいる死者という考えがありました。

おわりに|死者は「祖先」になる

古代インドの死者観を追っていくと、人が死ぬということが、一瞬の出来事ではないように見えてきます。

人が亡くなる。

葬送が行われる。

食物や水が供えられる。

死者のための儀礼が続けられる。

そして、死者は祖先たちの中へ組み込まれていく。

つまり、

死者は、少しずつ「祖先」になっていく。

古代中国では、死者に「帰る場所」を与えました。

古代インドでは、儀礼によって死者を「祖先」へ送りました。

どちらにも共通しているのは、死者が死んだ瞬間から完成した存在になるわけではない、という感覚なのかもしれません。

そして今回登場したpretaという言葉は、その後、仏教の中で大きく意味を変え、日本では「餓鬼」という存在として知られるようになります。

「亡くなった者」は、なぜ飢え続ける「餓鬼」になったのでしょうか。

そこにも、人間が死者をどう捉えてきたのかを考える、もう一つの長い歴史がありそうです。

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古代の幽霊シリーズ

参考文献・参考資料

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