【入来探索】廃仏毀釈でぶっ壊された!寿昌寺の仁王像。

こんにちは。寿昌寺近くに住んでいるスーグル(@vsoogle)です。

今回の入来探索は寿昌寺の仁王像。入来麓武家屋敷群とは川をはさんで向かい側にある。

寿昌寺とは?

寿昌寺は元々は入来院氏の菩提寺。廃仏毀釈によって廃寺になった。

寿昌寺は入来院家の菩提寺として清色城の対岸にある向山の麓に建てられ、領内第一の大寺院として明治維新の廃仏時まで尊崇されて来ました。

中世の寺領は現量の12.6ヘクタール、近世の寺禄70石という数字だけでもこの寺の重視されていたことがわかるようです。

宗旨は中世は臨済宗、近世は曹洞宗で、歴代の住寺中には曹洞宗の両本山、越前永平寺と能登の総持寺の最高住職の経歴を持つ高僧も数人あり、禅師号拝載者も六人もありました。

出典:「入来町の文化財」 昭和五十四年三月五日 入来町文化財保護審議会

当時の仁王像が残っている。

寿昌寺の仁王像の説明書きには廃仏毀釈の際のエピソードが語られている。

仁王は、釈迦に仕え仏法やその聖域(寺院や仏壇)を守護する執金剛神が阿形・吽形二体に分化したもので、「二王」とも呼ばれています。

また、桾(裳)を腰に纏うだけの上半身裸形で、筋骨隆々とした姿で表されることから「金剛力士」とも言われます。

この仁王像は下半身がありません。ある人が切り取って石臼を作ったためで、その人は後に仏罰を受け歩けなくなったそうです。

製作年は不明ですが、江戸時代初期のものではないかと言われています。

寿昌寺は、入来院氏の菩提寺であり、領内随一の寺院として明治維新の廃仏毀釈まで尊崇されました。

平成二十三年二月 薩摩川内市教育委員会

「三國名勝圖會」に当時の寿昌寺のイラストが載っている。天保14年(1843年)編纂とあるので江戸時代の様子が書かれているものっぽい。「三國名勝圖會」ってのは三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)という。

三国名勝図会とは?

三国名勝図会とは簡単に言えば江戸時代の観光ガイドマップ。

三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)は、江戸時代後期に薩摩藩が編纂した薩摩国、大隅国、及び日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した文書。

特に、神社や寺院についてはその由緒、建物の配置図や外観の挿絵まで詳細に記載されている。また各地の名所風景を描いた挿絵も多く、当時の薩摩藩領内の様子を知るための貴重な資料となっている。全60巻。

出典:Wikipedia

ちなみに三国名勝図会は、明治38年(1905年)出版のものは日本国立国会図書館デジタルコレクション(旧近代デジタルライブラリー)において公開されている。

国立国会図書館デジタルコレクション

三国名勝図会 : 60. 4(巻之10-12) 図書 五代秀尭, 橋口兼柄 共編 (山本盛秀, 1905)

寿昌寺は89ページ

三国名勝図会は何書いてるかわかりにくいど、寺の図を見てると面白い。昔は立派な寺院があったのがわかる。

廃仏毀釈により寺から神社になったり、廃寺になったりとしたことで、なくなってしまったもの。当時の時代の事情が或るかもしれないが、現代に生きる僕からすれば、もったいないの一言では表せないくらいもったいない。これらの寺院が残っていれば、もっと面白い歴史が伝わってたかもしれないし、観光名所としても充実していたはず。

ちなみに説明書きにあった寿昌寺のイラストもあった。寺の前の川にかかっている橋が細い。

龍游山寿昌寺

寿昌寺の仁王像

寿昌寺の仁王像はかろうじて現存しているが、痛々しい姿になっている。

下半身がないので、石で補強して設置してある。

阿!

吽!

説明書きにもあったように、仁王像の下半身を切り取った人は仏罰を受けている。歩けなくなったとあるが、下半身を石臼にしたからか。腕なら腕が動かなくなっていたかも!眉唾だと思ったが、約150年前のことでこのような伝説が残っているので、本当に何かしらの仏罰はあったのかも。これも地元の人に聞いてみよう。

そもそも仁王像とは?

仁王像は金剛力士像と同じ。

金剛力士(こんごうりきし、梵: वज्रधरVajradhara)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。サンスクリットでは「ヴァジュラダラ」と言い、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」を意味する。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。一般には仁王(におう、二王)の名で親しまれている。

日本では寺院の入口の門の左右に仁王像が立っているのをしばしば見かける。像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表すものが多い。こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表している。

出典:Wikipedia

寿昌寺峰陣跡

敷地内に以下の看板がある。

この山一帯寿昌寺峰陣跡。

寿昌寺峰陣跡は、応永4年(1397年)に島津氏が入来院氏を攻め入った時に築いたと言われている陣跡。島津氏が入来院氏を攻めた時、寿昌寺を占拠して陣をひき、山城である清色城を包囲した。この時、入来院重頼が降伏して清色城を去ることとなる。この後、入来院重頼、重長親子は清色城を返還してもらっている。

MAP:寿昌寺の仁王像

慰霊碑

敷地内には慰霊碑がある。

現在は護国神社となり、殉国の英霊を祀っている。英霊と桜はお約束のセットだ。

薩摩藩は廃仏毀釈を先導した藩。仁王像の上半身だけでも残っていたのは奇跡だと思う。

昔は武士たちが集まってお寺でお花見していたのだろうと妄想してしまう。

1 個のコメント

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    ABOUTこの記事をかいた人

    「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしています。( 山城の観光記念符「城郭符」や、歴史和菓子「雪窓院」を企画など)