【鹿児島】薩摩川内市・旧川内市史跡巡り

はじめに

2017/8/25に入来の郷土研究会のメンバーで、鹿児島県薩摩川内市にある旧川内市史跡巡りをしたときのことを書こうと思う。

入来院氏が絡む史跡をメインに旧川内市の以下の史跡をバスで巡った。

・永利石神神社
・オガタマの木
・二福城跡
・入来院重聡の墓
・北郷家墓地
・天辰寺前古墳

平均年齢75歳オーバーの史跡巡りツアーであった。

永利のオガタマノキと石神神社

永利町石神神社の境内にあるオガタマノキは樹齢800余年 だそう。

オガタマは「招魂(オキタマ)」から転訛した名前という説がある

また、天照大神の「天岩戸隠れ」の際、天細女命はこの木の枝を手に舞ったとされる。

石神神社の御祭神は『石神の神(イシガミノカミ)』だとのことだ。

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二福城跡

建久年間(1190年頃)、薩摩郡司薩摩太郎忠友の居城。以後、鎌倉時代は薩摩氏一族の居城だそう。

室町時代に島津氏の居城となる。

天文八年(1539)頃、入来院氏の居城となった。島津義久・義弘・家久らの母方の祖父である入来院重聡が晩年を過ごす。

永禄十二年(1569)、入来院重嗣は島津氏に降伏、島津氏の居城となる。

二福城跡の田の神さぁ

二福城跡には田の神さぁが2体?いた。

子安観音

二福城跡には子安観音もいた。

これは、妊婦の安産を守護する地蔵尊で慈母観音。

頭部のない観音像は廃仏棄釈により破壊されている。

子安観音は江戸時代にキリスト教徒が官憲の目を逃れる為に聖母マリアの像を観音だと称し礼拝したものといわれている。

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大源寺跡入来院氏関係石塔群

隈之城駅近くにある大源寺跡に向かった。

大源寺は1460年頃に熊野の修験者 円覚阿闍梨によって建立された。

入来院重朝が隈之城を領有時、入来院重聡の菩提寺として「定祐寺」と改めた。

廃仏毀釈により廃寺となっている。

大源寺跡の宝篋印塔の中に、重朝が天文十一年(1542)に建てた重聡の墓碑がある。

「永正九年壬申三月七日定祐寺殿陽仲定祐居士」と刻まれている。

この石塔群は墓地裏に散逸していたが、昭和四十四年に発見され、昭和六十年にボランティアの方々によって再建し改葬された。

ちなみに、入来院重聡(いりきいんしげとし)は入来院第十一代当主で、娘は雪窓夫人。 雪窓夫人は島津貴久の妻で、島津義久、義弘、歳久の母親である。

小さな墓であったが、鹿児島の歴史を感じた。

▼Map

▼参考記事:島津義久・義弘・歳久の母「雪窓院」の謎に迫る!

北郷家墓地

平佐北郷家歴代の領主とその妻、子供たちの墓が並ぶ場所。廃仏毀釈までは北郷家の菩提寺「梁月寺」があった。

薩摩川内市にこんな規模の墓地があるとは思はなかった。

北郷家の家紋は名称は分からないがカッコイイ。

元は島津家だから丸十字が変形して四角になったのかな。

北郷家

北郷家の初代資忠は島津氏四代忠宗の子で、日向の北郷院(都城市)に封ぜられる。

十代時久の文禄四年(1595)所領替えにより、時久は都城から宮之城、三男三久は平佐に封じられ平佐北郷家の初代となる。

初代三久の墓は高さ2.5mの石屋に納められた重厚な五輪塔だ。

▼Map

天辰寺前古墳

平成20年、ここ天辰町でに区画整理事業の工事中に偶然、石室が発見された。

石室と古墳は、約1500年前(古墳時代中期)のものと判明。

石室内からは左腕に16個、右腕に2個のイモガイ製腕輪を身に着けた壮年女性人骨1体と、副葬品銅鏡1面、、刀子1口が出土。

▼Map

今日の旧川内市内史跡巡りは時間が余ったので、入来に帰る途中、旧東郷町・旧樋脇町を通って以下の史跡も巡った。

・戸田観音石塔群等
・倉野磨崖仏

戸田観音のガラッパ(河童)

観音山の水波売神社(みずはめじんじゃ)の社殿には観音菩薩像と木製の河童像がある。

観音菩薩像の目の前に二体、河童像が配置されている。

よく見ると鱗があるように見える。

河童像はとにかく衝撃的だった。軽くトラウマだ。笑

川でこんな河童に足引っ張られたら怖すぎる。

水波売神社(みずはめじんじゃ)

水波売神社は水神を祭っている 神社だ。

社殿には先程紹介した観音菩薩像と河童像がある。

また、境内には塔婆や板碑などが残されている。

水波売神社の近くに小さい祠的なものがあった。気になる。

▼Map

倉野磨崖仏

倉野は入来院氏が治めた地だ。

この地にあった瑞泉寺では高度な仏教研究が行われていた 。

磨崖仏は梵字17、陽刻仏像1、五輪塔3、外仏種子等からなそう。

日本だけでなく、全世界でただ一つしか無い梵字「オーンク」(金剛両部不二大日)が刻まれている 。

全世界にただ一つの梵字ってすごい!

他の像をよく見ると、いろはすのペットボトルが横にあった。 未開封っぽかったので、おそらくお供え物だ。

今も地域の方に信仰されているのだと実感した。

▼Map

さいごに

今日の旧川内市内史跡巡りは貴重な体験だった。

島津義弘たちのおじいちゃんでもある入来院重聡のお墓参りや、世界に一つしかない梵字がある倉野磨崖仏の見学ができて良かった。

史跡巡りしてて残念に思うのは、だいたい廃仏棄釈で壊されてることだ。

歴史にIfはないが、廃仏棄釈がもし無かったら?を考えてしまうのは私だけだろうか。

普段、皆が気にしていない史跡があるかもしれない。そういったものが歴史的に重要だったり、面白かったりするかもしれない。

地元の人ほど注目して後世に受け継いでいったほしいと思った一日であった。

では!

お昼に皆で食べた天ぷら

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ABOUTこの記事をかいた人

「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしていました。( 山城の観光記念符「城郭符」や、歴史和菓子「雪窓院」を企画など)