2014年9月7日、静かな秋の朝。
私は青春18切符を片手に、旅の始まりを告げる列車に乗り込んだ。上野駅のホームはいつもより少し静かで、少しばかりの緊張感が漂っている。私の心も、それに呼応するかのように高鳴っていた。
高崎駅での乗り換えを経て、JR信越本線の横川駅へ向かう。列車の窓から見える景色は、都会の喧騒を忘れさせるような穏やかな田園風景が広がっていた。
横川駅に降り立つと、澄んだ空気が迎えてくれた。
駅に着いてすぐ、私はおぎのやの「峠の釜めし」を求めて峠の湯のレストランへと足を運んだ。
蒸気が立ち昇る器から漂う香りが食欲をそそる。温かいご飯と具材の絶妙なバランスに、旅の始まりの疲れが一気に癒された。
腹ごしらえを済ませてから、アプトの道へと続く小道を歩き始める。
かつては鉄道が走っていた廃線跡。鉄道の歴史を感じながら、自然の中を進むと、心がどこか遠い昔へと連れ去られるようだった。
途中途中で出会うレンガ造りのトンネルは、どこかレトロな雰囲気を漂わせていて、まるで時間旅行をしているかのような感覚に包まれる。
碓氷峠は古くから交通の要衝であり、江戸時代には碓氷の関が設置され、明治時代には鉄道敷設の計画が持ち上がった。
一度は断念されたものの、太平洋側と日本海側を結ぶため、再度計画が進行され、最終的には、ドイツのハルツ山鉄道を参考にアプト式が採用され、1893年に横川―軽井沢間が開通した。
この路線は急勾配をアプト式蒸気機関車で走り、多くのトンネルと橋梁を必要とする難工事だったが、蒸気機関車による煙がトンネル内での乗客にとって大変な問題となった。
アプト式鉄道の遺構をたどりながら歩くうちに、ついに碓氷峠第三橋梁が目の前に現れた。
その雄大な姿は圧巻で、下から見上げるとその迫力に圧倒される。赤レンガ造りのアーチ橋は、自然と調和しながらも、その存在感を放っていた。
そして、碓氷峠第三橋梁を見た時、私の興奮はピークに達した。
碓氷峠といえば、あの「頭文字D」で見たことがあった場所だったからだ。実際にその地に立ってみると、アニメで見た景色が現実となり、テンションが一気に上がった。
さらにアプトの道を進むと、最終的に熊ノ平駅の跡地に到着した。
ここはかつて、碓氷線が単線だったため、上り列車と下り列車のすれ違いや、蒸気機関車の給水・給炭のために設けられていた場所だったと知り、その歴史に思いを馳せた。
帰りには碓氷関所を見学することにした。その歴史的な建造物は、碓氷峠の重要性を物語っていた。
再び横川駅へ戻る。
横川駅から高崎駅を経て上野駅へと戻る帰り道。列車の振動と共に、今日一日が頭の中を巡る。
碓氷峠の自然、廃線跡の静けさ、そして鉄道の歴史。全てが一つになって、心に深く刻まれた旅の思い出となった。
2014年9月7日、私は碓氷峠で過ごした一日を、今も忘れることはないだろう。
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