僕の四国旅行記Vol.7(広島旅行記Vo.1)〜愛媛・今治から広島・尾道へ〜

はじめに

夏がくるたびに蘇る、初めて四国を旅したときの思い出。

今回は旅の7日目。2012年8月17日に今治から四国を出て尾道を訪れた。

▼前回の記事僕の四国旅行記Vol.6~愛媛・内子座と松山城と道後温泉~

しまなみ海道

松山駅から今治駅へ。今治駅近くの今治桟橋からバスに乗り尾道へ向かった。

しまなみ海道だ。

大島、伯方島、大三島、生口島を通り、因島へ。ここで一度下車。

因島大橋記念公園に立ち寄り因島大橋を見に行った。

島々を結ぶ橋の建設は想像できないほどの苦労があっただろうと思う。

山と海に囲まれた町が見えた。

橋があるとないとでは島の人たちの生活は全然違ってくるだろう。

せっかくなので、来島した記念に因島大橋を歩いて渡ってみた。

このしまなみ海道はサイクリングロードとして有名。今度は自転車で走ってみたい。

往復した後戻りバスに乗り、因島・向島を通り尾道へ入った。

尾道

バスで四国を離れ、広島の尾道に上陸した。

尾道では坂道の入り組んだ町並みを写真におさめながら散歩した。

ちなみに、尾道は港町として栄えてきたみたいだ。

中世より交通の要衝であった尾道は、1168年備後大田庄の年貢積み出しのために蔵屋敷が建てられ、 翌1169年には尾道が公認の港となりました。
1189年には年貢米の積み出し港として栄えはじめ、江戸時代には北海道~大阪を結ぶ大型船「北前船」の寄港も始まりました。
その繁栄ぶりは「北前船が寄港すると町がひっくり返るような賑わいを見せた」とも言われています。

その繁栄により、尾道には多くの富を蓄えるものたちが現れました。この者たちは豪商と呼ばれ、その財を惜しみなくお寺の建立や町の整備などに投資しました。 そのお寺や町並みは現在でも数多く残り、尾道らしい町並みを作り上げているのです。

尾道観光情報 おのなび

港町で繁栄したからこそ、豪商が現れ、お寺の建立や町の整備に財を投資し、この町並みが作られたのだろう。

町並み

ずっと坂道と細道が続く。

しばらく、町並みの写真を見てほしい。

初めて来たのに懐かしいと思わせる何かが尾道にはある。

千光寺

いつのまにか千光寺に迷い込んでいた。

千光寺は、平安時代の始め大同元年(806)に開基され、後の源氏の多田満仲の中興と伝えているそう。

本堂は貞享三年(1686)の建立。この地方には珍しい舞台造りで朱塗り。赤堂とも呼ばれる。

林芙美子は『放浪記』に出てくる「赤い千光寺の塔が見える」と書いているのはこの赤堂のことか。

また、境内にある巨岩「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶらしい。

その他にも、鐘楼がある。

鐘楼の鐘は除夜の鐘でもおなじみのもので「音に名高い千光寺の鐘は一里聞こえて二里ひびく」と歌われているそう。聞いてみたい。

参拝後は、ロープウェイで下まで降りた。尾道の町並みを一望できる。

天寧寺

天寧寺は、千光寺と同じく尾道のシンボル的存在。

1367年に尾道の道円の発願により、足利義詮が尊氏の遺志を継いで工事を寄進し、普明国師を請して開山されたとのこと。

また、境内には貞治6年(1367)に足利義詮が建立した国指定重要文化財の塔婆の海雲塔がある。

↑の写真のように、海雲塔とセットで見る尾道の町並みは尾道を代表する風景だ。

現在は三重塔だが、建築当時は五重塔であったとのこと。

ふと気づくと、目の前を猫が歩いていた。たまに振り返り、ついてこいと言っているようだった。

しばらくついていくと、お気に入りのスポットだろうか、横になってくつろいでしまった。

シャッターチャンスを作ってくれたのかもしれない。

尾道の猫はサービス精神旺盛だ。

尾道駅には夕日が落ちる前に戻ってきた。

しばらく海を眺め過ごした。

さいごに

尾道駅の近くで尾道ラーメンを食べ、広島駅周辺のホテルに宿泊した。

今日は今治から瀬戸内海の島々を通り尾道へ行った。尾道の町並みはまた訪れたい場所だ。

今日で四国を出でしまったが、旅はまだ少しだけ続く。

明日は旅の最終日。厳島神社と原爆ドームに行き、東京へ帰る。新幹線で。

では!

四国旅行記⑧に続く

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ABOUTこの記事をかいた人

「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしていました。( 山城の観光記念符「城郭符」や、歴史和菓子「雪窓院」を企画など)