僕の四国旅行記Vol.8(広島旅行記Vo.2)〜嚴島神社と原爆ドームへ〜

はじめに

夏がくるたびに蘇る、初めて四国を旅したときの思い出。

今回は旅の8日目。2012年8月18日に広島の嚴島神社と原爆ドームを訪れた。

厳密には四国を出た後の広島旅行記だ。

▼前回の記事僕の四国旅行記Vol.7(広島旅行記Vo.1)〜愛媛・今治から広島・尾道へ〜

宮島

広島駅から宮島口駅へ。港からJR西日本宮島フェリーに乗り厳島へと向かう。

しばらくすると海上に鳥居が見えてくる。有名な嚴島神社の大鳥居だ。

テレビや写真でしか見たことない風景。ずっと行きたかった場所なのでテンションは爆上がりだった。

船は宮島桟橋に到着。宮島に上陸。

さっそく鹿が出迎えてくれた。

鹿は神様の遣いみたいだ。この島でも自由に動き回っていた。

宮島おもてなし隊の平安女子にも出会った。

しばらく歩くと大鳥居が見えてくる。

ここでも大鳥居を眺めた。宮島は日本三景の一つだ。

大鳥居の周辺にカヌーを見かけた。羨ましい。

大鳥居を眺めていると、神職の格好をした人たちが船で儀式をした後に、裸の男たちが出てきた。

玉取祭

これは、ふんどし姿の男たちが宝珠と呼ばれる玉を取り合う、玉取祭というもの。タイミングよく見ることができた。

玉取祭をみた後は嚴島神社へ向かう。

嚴島神社

嚴島神社の公式サイトによると、嚴島神社は推古天皇元年(593)に佐伯鞍職によりご創建と伝えられているそう。

諸説あるが、「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島神」、「厳嶋神社」等呼称され、現在は、「嚴島神社」となっているとのことだ。

島全体が神の島として崇められていた為、陸地では畏れ多いと潮の満ち引きするところに社が建てられたといわれている。

また、平清盛も関係がある場所だ。

平清盛が久安2年(1146)安芸守に任官され、平家の守護神として尊崇。平家一門の権力増大とともに、嚴島神社への尊崇も厚く、社殿を現在の姿に造営したとのことだ。

都から後白河上皇、建春門院、中宮徳子、高倉上皇、建礼門院を始めとする皇族や貴族が訪れた為、都の文化や建築が宮島に入ってきた。

現在も嚴島神社に伝承されている舞楽は、清盛公によって大阪四天王寺から移されたもの。舞楽は一度見たみたいものだ。

当時は2012年。ちょうど大河ドラマが「平清盛」を放送していた時だ。毎週見ていてたので楽しめた。

拝殿は綺麗な朱塗り。海水の上の拝殿にいると神秘的な感じを受けた。

しばらくすると、潮が引いてきたのか、拝殿周りの海水が少なくなってきていた。

もう少し待てば、大鳥居まで行けたのかもしれない。

鹿たちはのびのびと過ごしていた。

嚴島神社の後は、大河ドラマ館に向かった。

大河ドラマ館

先ほども書いたが、当時の大河ドラマは平清盛。

ここではテーマ曲が流れていてテンションが上がった。実は一番好きな大河ドラマだ。

平清盛と一緒に写真を撮ってもらった。

何度も聞いた「遊びをせんとや生まれけむ〜」というフレーズ。

遊びをしようとこの世に生まれてきたのだろうか、という意味らしい・・。

宮島の後は原爆ドームへ向かった。

原爆ドーム

広電宮島口から広島電鉄に乗り原爆ドーム前へ。下車後、すぐに原爆ドームが見えてくる。

原爆ドームは、当時は広島県産業奨励館。1945年8月6日の原爆投下の様子を伝えるものだ。

ひろしま観光ナビによると、原爆は原爆ドームから南東約160メートル、高度約600メートルの位置で炸裂。このときの爆風は1平方メートルあたり35トンの圧力を持ち、風速は秒速440メートルという凄まじいものだったそう。

この広島県産業奨励館は激しい爆風と熱線を浴びて、火を噴きだして燃え上がったという。

爆風がほとんど上から真っ直ぐ下に働いたため、奇跡的に厚い側面の壁や鉄骨のドーム部分などは倒壊を免れた。しかし、建物内にいた人は全員即死、建物内部は熱線による火災で全焼という惨事に。

鉄骨部がむき出しとなったドームは、いつからか「原爆ドーム」と呼ばれるようになったとのこと。

百聞は一見にしかずで、一度訪れたいと思っていた場所だ。

原爆ドームを見た後は、広島平和記念資料館へ。

来館者ノートには日本だけでなく、世界中の来訪者のコメントが書かれていた。読んでたら涙が出てくる。

資料館を後にし、広島駅に向かった。

さいごに

今日は嚴島神社で古代からの信仰を感じ、原爆ドームで戦争の悲惨さを改めて認識させられた。

広島駅到着後は新幹線のチケットを取り、広島駅から東京駅に帰った。

合計八日間の長い旅が終わった。

自分はこの旅で何を感じただろうか、得るものはあっただろうか、、といったことを新幹線の中では考えてしまった。

私は今まで色々な場所を旅してきた。しかし、旅の記録をつけておらず、記憶も風化しつつあることに気づいた。今までの経験が無になることが怖くなったので、過去の旅もブログで記録をつけることにした。

今回は、2012年当時のメモや写真を振り返りながら四国旅行記を書いてみた。

今後は他の旅についても振り返りながらブログ記事にしていく予定だ。

この記事を読んでくれている方、今後もよろしくお願い致します。

追伸

ちなみに、この旅で日焼けしすぎた為、一週間ぶりに会社に行くと、皆に笑われてしまったのは良い思い出だ。

では!

▼四国旅行記

僕の四国旅行記Vol.1〜四国なんて一生行くことないと思ってた〜

僕の四国旅行記Vol.2〜四国上陸、こんぴらさんへ〜

僕の四国旅行記Vol.3〜犬島・直島 アートプロジェクトへ〜

僕の四国旅行記Vol.4〜徳島・大歩危峡と祖谷のかずら橋へ〜

僕の四国旅行記Vol.5~高知・四万十川と沈下橋~

僕の四国旅行記Vol.6〜愛媛・内子座と松山城と道後温泉〜

僕の四国旅行記Vol.7(広島旅行記Vo.1)〜愛媛・今治から広島・尾道へ〜

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ABOUTこの記事をかいた人

「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしていました。( 山城の観光記念符「城郭符」や、歴史和菓子「雪窓院」を企画など)