僕の四国旅行記Vol.1〜四国なんて一生行くことないと思ってた〜

夏がくるたびに蘇る、初めて四国を旅したときの思い出。

僕がまだ20代の頃、青春18きっぷを使い鈍行列車で四国を旅したことがある。昔の記憶を掘り起こしながらここに記録を残しておこうと思う。

はじめに

2012年の夏。忙しかった案件に一区切りついたので、今回は実家に帰らずに旅に出ようと思い立った。

1週間の有休も取得し時間もある。飛行機や新幹線ではなく、鈍行列車の旅というのも悪くない。

せっかくだから普段行かないようなところに行きたい。

そうだ四国に行こう。

今後も下手したら四国に行くことなんてないし、今行かないと一生行かないかもと思ったので四国を選んだ。(四国の方には申し訳ない。)

とりあえず四国に向かう電車の中でスケジュールを考え、宿を取ればいいかという風に楽観的に考えていた。

この四国への旅が、僕の初めてのJRの青春18きっぷの旅だった。

旅の気分を出すために紙の時刻表も購入。準備万端であった。

旅の1日目

2012年8月11日(土)の朝、僕は6:30頃にアパートを出発した。当時の最寄り駅である地下鉄東西線の南行徳駅から大手町駅に向かった。

大手町から東京駅までは徒歩で乗り換え。東京駅の構内でお茶やお菓子を購入し、自分が乗る列車を待っていた。

東京駅を7:40発の東海道本線に乗り、熱海駅を目指した。お盆の時期の土曜日だったので、帰省客も多かった。

熱海駅には9:32に到着。そこから興津駅行きに乗り、興津駅からは浜松駅行きに乗り換え、10:42に浜松駅で下車した。

浜松駅で下車したのは、どうしても浜松で鰻を食べるという体験をしたかったから。

残念ながら、今となってはどの店で食べたかは覚えていない。

鰻も食べれて満足し、浜松駅を13:02に出発し、豊橋駅を目指した。

豊橋駅では岐阜駅行きの電車に乗り換え。豊橋駅ではどのホームに電車がくるかわからずに、焦ったのを覚えている。

16:16に岐阜駅到着、その後トラブル発生。名古屋駅付近の電車が大雨と雷でストップしてしまい、その影響を受けて、僕の乗っている電車が止まってしまった。

これも鈍行列車の旅の醍醐味かと思い、ゆっくり待つことにした。1時間ほど立ち往生して出発し、大垣駅に着いた。

その後は、大垣から米原、米原から姫路、姫路から相生と乗り換えて先に進んだ。

正直なところは1日目で岡山まで行きたかったが、終電までにどこまでいけるか心配だったので、大事を取って兵庫県の相生駅までとした。相生駅に到着したのは22時頃だった。

相生駅周辺の東横インにチェックインし、1日目の旅を終えたのであった。

1日目の旅は列車内で過ごして終わったが、四国に向かう道中、るるぶを見ながら行きたい場所をピクアップしていた。

香川では金比羅山にお参りし、うどんを食べ、直島で芸術に触れる。徳島では渦潮を見たいし、阿波おどりや大歩危小歩危というところも気になる。高知は桂浜や坂本龍馬に関するもの、四万十川やそこにある沈下橋を見たい。愛媛は松山城や道後温泉、坊っちゃんゆかりの地に行きたい。

・・・などと、計画を楽しみながら電車に揺られていた。

初めて鈍行列車の旅で僕は一日中高揚感に包まれていた。

▼続きの記事僕の四国旅行記Vol.2〜四国上陸、こんぴらさんへ〜

参考

東京から四国(実際は兵庫県)までの旅程をノートに記録していたので参考に載せようと思う。時間まで書いていたのが自分でも驚きだ。

旅程

  • 東京(7:40)→熱海(9:32)
  • 熱海(9:37)→興津(10:34)
  • 興津(10:34)→浜松(10:42)
  • 浜松(13:02)→豊橋(13:36)
  • 豊橋(13:59)→岐阜(16:16)
  • 岐阜(17:30)→大垣(?)
  • 大垣(?)→米原(18:30)
  • 米原(18:48)→姫路(21:18)
  • 姫路(21:37)→相生(21:57)

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「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしていました。( 山城の観光記念符「城郭符」や、歴史和菓子「雪窓院」を企画など)