はじめに
2021年7月、長崎を訪れた。
暑い日だった。
長崎タウンと呼ばれるエリアを観光したのでそれについて書いていこうと思う。
長崎駅
博多駅を8:52に出発。
かもめ9号(黒い方)に乗って長崎駅へ向かった。
長崎駅に10:54に到着!
長崎駅は、以前来た時とは雰囲気が変わっていた。
それもそのはず、2022年開業予定の、長崎駅と武雄温泉駅を結ぶ西九州新幹線の運行の為、新しい駅舎が建設中であった。
以前は改札出るとかもめ広場とアミュプラザが目の前だったが、現在は改札出てから少し歩かないといけない。
以前の長崎駅の改札は撤去され、ホームやレールも無くなっていた。少し寂しい。
ちなみに、駅スタンプは改札で出てすぐのところにあった。以前と同じもの。
長崎駅前の電停から、諏訪神社に向かうため路面電車に乗った。
諏訪神社
鎮西大社・諏訪神社に来た。
諏訪神社は、創建は寛永2年(1625)で、当時はキリスト教が広まり他教を排斥したため、市内の社寺は破壊されることが多かったそう。
肥前唐津の青木賢清が長崎奉行に願いでて造営した。
また、秋の大祭・長崎くんちは日本三大祭りの一つにかぞえられているとのこと。
真夏日の中の階段はつらい。
現在の社殿は火災のため消失し、明治元年(1868)に復元されたものらしい。
御朱印
諏訪神社、玉園稲荷神社の御朱印を頂いた。
諏訪神社の後は、徒歩で長崎歴史文化博物館へ向かった。
長崎歴史文化博物館
長崎は幕府直轄の天領で、ここは長崎奉行所があった場所。
常設展の展示の長崎奉行所や、潜伏キリシタンについての展示を見た。
葵の御紋の袋に靴を入れてから進む。
長崎奉行の年収がすごい。弘化3年の場合だと6億円!エリート中のエリートがなれるポジションだ。
刀や松竹梅盆栽も。
個人的に印象に残っているのは、芥川龍之介が描いた河童図屏風だ。
偶然にも、来館日の3日後の7月24日は芥川龍之介の命日で河童忌。見れてよかった。
写真も展示されていた。芥川龍之介や菊池寛が長崎を訪れていたとは知らなかった。
博物館の後は浜の町の吉宗へ。
猛暑の中徒歩や電停まですら歩くのもきつい為、タクシーで移動。大人の旅だ。
吉宗本店
吉宗は江戸時代に開業した店。
建物がもかっこいい!店内もレトロで良い感じ。
茶碗蒸しと蒸寿しが有名で、もちろん食べた。
美味しい。大満足!
ゆっくりした後は眼鏡橋に向かった。
眼鏡橋
眼鏡橋は、寛永11年、興福寺の黙子如定禅師が架設した日本初のアーチ式石橋。
川面に映る影が双円を描き、眼鏡に見えることから眼鏡橋との名前がついたと言われている。
ハートストーンがあり、愛を願うパワースポットとして人気を集めている。
若いカップルが多かった。自分達は暑さに疲れていたので諦めた…
チリンチリンアイス🍨
長崎名物のチリンチリンアイス。
前田冷菓さんが眼鏡橋近くで販売していた。
秋田のババヘラは食べたことあったけど、長崎のチリンチリンアイスは初めて食べた😋
眼鏡橋を訪れたら是非食べて欲しい。
アイスを食べた後は興福寺へ。
興福寺
興福寺は、元和6年に渡来した真円によって開基された日本最初の唐寺。
第二代住職は黙子如定は眼鏡橋を架設したことで有名。
門がでかい!
唐寺ということもあり、確かに今までの馴染みのあるお寺とは異なり、中華風のデザインだ。
門のすぐ近くには斎藤茂吉の歌碑があった。
「長崎の昼しづかなる唐寺や思ひいづれば白きさるすべりの花」茂吉
斎藤茂吉は長崎医専(医大)教授として対象6年(1917)の冬から3年3ヶ月長崎に住んだとのこと。
先程の芥川龍之介の長崎の写真は大正8年(1919)なので、もしかしたら斎藤茂吉と芥川龍之介は長崎で会ったりしていたのかもしれない。
御朱印
御朱印には倒福のデザインも🦇
次は喫茶店に向かった。
松翁軒セヴィリヤ
この時点でかなり疲れていたので休憩を。
松翁軒セヴィリヤはカステラ屋である松翁軒に併設された喫茶店。
店内はとてもはオシャレ。
長崎県産檸檬を使用したカステラの「冷花の雫 涼峯(りょうほう)」をいただいた🍋
近所に住んで定期的に通いたいくらい良い場所だった。
この後ホテルのある大浦町へ。
ホテル・モントレ長崎
本日の宿は大浦天主堂に比較的近い場所を選んだ。
ホテルモントレ長崎だ。
地中海を想像させるようなデザイン。オシャレでした。
チェックイン後にホテル周辺も見た。
我が国鉄道発祥の地跡
慶応元年、英国人貿易商トーマス・グラバーは、ここから松ケ枝橋の方向にレールを敷き、英国製の蒸気機関車アイアン・デューク号(鉄の侯爵)を走らせた。
営業目的ではなかったが、蒸気機関車の運行としては日本初のものであったとのこと🚂
これは知らなかった。鉄道好きは要チェック。
長崎水辺の森公園
出島ワーフで夜ご飯を食べ、長崎水辺の森公園で休憩。
船の灯りで明るかった。
長崎は稲佐山からの夜景が有名。
逆に地上から稲佐山を見るのも夜景は綺麗だった。
大浦天主堂
信徒発見の舞台となった教会。
元治2年、浦上地域の農民がプティジャン神父にキリスト教の信仰を打ち明けた。日本では禁教令が出て約250年経っていたが、長崎で信仰が伝承されていたことが明らかになった奇跡の瞬間であった。
修学旅行で来たことある方もいると思う。夜見る機会がないので今回来てみた。
明日また行く予定。
さいごに
長崎は海外との玄関口だったからか、和洋中の文化が良い感じに溶け込んでいる印象を受けた。
教会のイメージは持っていたが、興福寺などの唐寺の存在は初めて知った。
また、江戸時代初期は教会などが多くなり、社寺が排斥されたいたというのも長崎特有の歴史で興味深かった。
明日は大浦天主堂とグラバー園の王道コースを回る予定だ。
では!
▼続きの記事:2021.長崎タウン旅行記②
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