こんにちは。スーグル(@vsoogle)です。
今回は入来文書の目次について紹介。
全部読んで理解するのは困難なので、目次だけでも見て参考にしていただければ。
「入来文書〜The Documents of Iriki〜」
「入来文書」朝河貫一 著/矢吹晋 訳、2005、柏書房
目次
・日文序言
・英文序言
◉序説
ー南九州、嶋津庄、嶋津家、渋谷家、入来院ー地名と固有名詞
◉文書と解題・注釈
1.五大院政所正信への命令 1135年
2.伴信房の請願書と領主の許可状 1147年
3.桑名信包の念書 1164年
4.伴信明の請願書と領主が欄外に書いた許可 1183年
5.大蔵種明の請願書と領主の欄外の許可 1187年
6.嶋津忠久の任命書 1185~1187年
7.薩摩北方の名 1193年
8.薩摩における将軍の家臣 1187~1198年
9.土地台帳報告 1197年
10,平忠直の譲状 1203年
11.紀正家の寄進状 1204年
12.山田村にかかわる請願書と命令 1217~1218年
13.渋谷定心の譲状 1245年
14.渋谷定心の譲状 1246年
15.伴信資の起請文 1247年
16.信忠と定心の争いについての幕府の裁許状 1250年
17.渋谷定心の譲状 1250年
18.入来院内の田地の条件 1250年
19.定心の譲状 1251年
20.定心の息子寺尾重経に対する最後の譲状
21.寺尾重経の相続についての将軍家政所下文案 1255年
22.薩摩国司の命令 1258年
23.渋谷明重の1263年譲状についての将軍の裁可 1267年
24.明重の譲状あん 1265年と将軍の許可 1267年
25.国分寺の請願書 1321年
26.寺尾重経の息子与一に対する勘当状 1277年ごろ
27.寺尾重経の息子重通に対する手紙 1277年
28.寺尾重経の息子重通に対する譲状 1277年
29.寺尾重経の妻妙蓮への譲状 1277年
30.寺尾重経の孫娘竹鶴への譲状 1277年
31.寺尾重経の遺言補足書 1277年
32.寺尾重経の勘当状 1277年
33.寺尾重経の遺言補足書 1277年
34.寺尾重経の遺産相続についての将軍家政所下文案 1278年
35.寺尾竹鶴の遺産相続についての関東下知状案 1278年
36.与一を告訴する 1278年
37.与一を告訴する 1278年ごろ
38.鎌倉から六波羅への命令 1278年
39.与一による反駁 1279年ごろ
40.与一を再告訴 1279年ごろ
41.妙蓮と与一の争いに対する関東裁許状 1280年
42.渋谷有重の譲状 1280年
43.下村有村の保有についての関東裁許状案 1288年
44.寿阿の遺言状 1287~1288年
45.勲功賞の配分についての将軍の命令 1288年
46.渋谷政重の領地についての将軍の命令 1291年
47.入来の弁済使職への贈物 1292年
48.中村重世の譲状 1299年
49.塔之原からの年貢表 1299年
50.嶋津忠宗の執行命令 1300年
51.大前則道による和解の書簡 1303年
52.清敷にかんする和解 1308年
53.国方用途の領収書 1311年
54.領家による代用途の免除書簡 1311年
55.武光師兼の譲状 1312年
56.塔之原領家からの年貢受取取状 1319年
57.寺尾惟重に対する守護の命令 1320年
58.寺尾善阿(為重)の告発 1320年ごろ
59.清敷の水田登録 1322年
60.岡本静重の譲状 1322年
61.寺尾惟重の手紙 1322年ごろ
62.塔之原についての寺尾別当の訴状 1323年
63.寺尾重名と重広の争いについての重名の返書 1325年ごろ
64.寺尾重名と重広の争いについての別当の陳述 1325年
65.寺尾重名と重広の争いについての重名の返書 1325年
66.寺尾重名と重広の争いについての内重の呼び出し 1327年
67.塔之原についての手紙 1328年以後
68.東郷の尼に対する土地の売却 1327年
69.薩摩中央の武士人名表 1328年
70.寺尾惟資重の領地についての報告 1329年
71.将軍による下知状 1329年
72.塔之原における課税記録 1330年ごろ
73.渋谷重基の譲状 1331年
74.岡元(?)典重の請願書 1333年
75.天皇綸旨 1333年
76.祁答院重利の降伏文書 1333年
77.天皇綸旨 1334年
78.領地の年貢 1334年
79.中村領地についての和解 1335年
80.朝廷での警備の奉仕 1335年
81.寅三を支持した判決命令 1335年
82.渋谷重基への足利の支持を求めた出陣勧誘 1335年
83.足利尊氏の叙任と功績の認定 1336年
84.渋谷一族に対する尊氏の出陣勧誘 1337年
85.畠山義顕の寺尾重名への命令の転送 1338年
86.出陣奉仕の記録 1339年
87.渋谷定円重基の譲状 1343年
88.寺尾重広の出陣への足利直義の呼びかけ 1343年
89.岡元静重と高城重宗の譲状 1344年
90.出陣奉仕についての岡元重興の報告 1345年
91.寺尾重広の譲状 1346年
92.渋谷一族の合戦回避を避難する書簡 1346年
93.渋谷重基の譲状 1346年、その裁可命令 1351年
94.渋谷重勝の遺贈状 1347年
95.岡元重興と寺尾重名の出陣報告 1347年
96.岡元重興の出陣についての探題の勧誘 1347年
97.渋谷重勝の遺贈状 1349年
98.足利直冬の出陣勧誘 1350年
99.太宰府における警備についての書簡 1351年
100.執印時友の論駁書 1351年
101.渋谷重勝への天皇の命令 1351年
102.出陣についての岡元重興の報告 1352年
103.渋谷重勝の領地差し出し 1352年
104.烏丸の土地と年貢 1354、1357、1406年
105.渋谷重勝の将重(小五郎)への譲状 1355年
106.懐良親王による軍功評価の約束 1358年
107.嶋津師久の領地引き渡し状 1358年?
108.個人的従者への褒賞状 1359年
109.寺尾重名の譲状 1360年
110.将軍による奉仕の認可 1362年
111.渋谷重門による保有物の認可 1363年
112.渋谷重門の両陣営への出陣にかんする文書 1364~1367年
113.渋谷重門の遺言 1367年
114.村尾重成の遺言状 1368年
115.渋谷重門の譲状 1371~1372年
116.今川了俊の出陣勧誘 1372~1373年
117.懐良親王の渋谷重頼に対する論功約束 1373年
118.今川了俊から渋谷重頼への書簡 1375~1385年
119.渋谷重頼の保有物の認可 1384年
120.寺尾重名の拒絶 1384年
121.了俊から渋谷家への贈与 1386~1391年
122.岡元直重への将軍による叙任 1390年
123.了俊が清色を称賛 1394年
124.寺尾道賢の遺言状 1395年
125.入来院の没収領地の嶋津伊久による贈与 1396年
126.渋谷重頼への領地の贈与 1400年
127.競争相手嶋津領主による贈与と誓約 1404年
128.入来院の年貢 1406年
129.渋谷重頼の遺言状と証言 1406年
130.嶋津久世の贈与 1411年
131.伊集院頼久の贈与 1417年
132.嶋津久豊の誓約 1423年
133.渋谷重長の遺言状 1423年および1441年
134.寺尾重位の成人 1431年
135.渋谷重長による封土の確認 1437年
136.嶋津立久の贈与と誓約 1462年および1466年
137.入来院重豊と嶋津忠昌の誓約 1481年
138.入来院重豊の重聡への譲状 1490年
139.領地と家屋敷 1490年ごろ
140.領地と年貢 1492年
141.入来院重基への百次の贈与 1536年
142.郡山を入来院重朝に図よ 1537年
143.入来院重嗣への犬迫の贈与 1560年
144.保有物の登記 1560年
145.入来院重豊による贈与領地の差し出し 1574年
146.出陣 1576年および1578年ごろ
147.水俣包囲軍の陣立て 1581年
148.秀吉の人質要求 1592年
149.嶋津の封土の調査と贈与についての文書 1594~1595年
150.挑戦遠征における出陣の記録 1591年および1597年
151.嶋津領についての文書 1603~1604年
152.外城と私領の記録 1614年
153.大名組織についての記録 1620~1640年
154.外城と私領の記録 1756~1800年ごろ
155.旧体制の移行にかかわる文書 1860~1870年
◉論点の要約
A.起源
Ⅰー地方の区画、地方の単位
Ⅱー土地(公領、庄、職)
Ⅲー家臣と初期の封土
Ⅳー結論
B.発展
Ⅰー封土
Ⅱー家臣の組織
Ⅲー武士
C.諸関係
Ⅰー領主と家臣
Ⅱー領主間
Ⅲー領主と将軍
Ⅳー領主と宮廷
Ⅴー領主と領地領主
Ⅵー領主と宗教機関
Ⅶー領主と農民
Ⅷー領主と市民
D.体制
Ⅰー全般的
Ⅱー軍事事情
Ⅲー行政
Ⅳー立法
Ⅴー司法
Ⅵー財政
・結論
・文献
◉付録
諸氏系図
◉書評
◆比較研究に身を捧げた歴史家の天賦の才が光るーマルク・ブロックのThe Documents of Iriki評ー
マルク・ブロック(元ソルボンヌ大学教授)著 松井道昭(横浜市立大学教授)訳
・訳者解説ーブロックとはどういう歴史家か
◆ヨーロッパと対比しつつ、体系的観点から原典資料を分析ーオットー・ヒンツェのThe Documents of Iriki評ー
オットー・ヒンツェ(プロイセン王立学士院会員)著 横山幸長(立正大学教授)訳
・訳者解説ーオットー・ヒンツェと入来文書
◆ヨーロッパの一法学者からみた日本の封建制(妙訳)ーE・R・アヴォンドのThe Documents of Iriki評ー
エドアルド・ルッフィーニ・アヴォンド(ペルージア大学教授)著 新原道信(中央大学教授)訳
・訳者解説ー1930年代イタリアの法制度史家による比較社会研究ー
◉訳者解説 蘇るThe Documents of Iriki 入来文書
Ⅰー黙殺される朝河史学
Ⅱー朝河貫一と「入来文書」について
ⅢーThe Documents of Irikiといわゆる入来(院)文書は峻別されなければならないー遺稿整理時の諸問題についてー
Ⅳー朝河の語るThe Documents of Iriki
Ⅴー朝河史学の継承のために
結びー朝河史学はなぜ歴史の闇に埋もれたのか
・訳者あとがき
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