入来温泉開発の立役者?雪窓院の玄孫「梅峯院」

こんにちは。スーグル(@vsoogle)です。

鹿児島は意外とたくさんの温泉地がある。僕の住んでいる薩摩川内市入来町にもいくつか温泉が存在する。

今回は入来の副田(そえだ)にある入来温泉についての歴史や、入来温泉の発展に貢献した梅峯院という人物を紹介。

入来温泉について

入来温泉は鹿児島県薩摩川内市入来町の副田地区にある温泉だ。

入来温泉は約七百年の歴史を持つ名泉で、江戸時代には副田温泉は領主直営で明治の初期まで運営されていた。

現在は土地の開発が進み、温泉街の華やかさがなくなり住宅街となっている。

湯河内温泉は、通称「入来温泉」と呼ばれる。三国名称図会にも湯河内温泉のことを「添田村、湯河内にあり、世俗に入来温泉と称す、、」という記述がある(下記「三国名勝図会12巻」赤い部分)。

温泉は八ヶ所湧き出ていたみたいだ(上記「三国名勝図会12巻」緑の部分)。

其の一は、御前湯。
其の二は、和尚湯。
其の三は、網代湯。
其の四は、打込湯。
其の五は、川涯湯。
其の六は、南端の湯。

残り二つは、網代湯の側の湧湯と南端の湯の側の湧湯で、御前湯、和尚湯、網代湯、打込湯は衆人の雑浴に提供されていた。また、温泉宿は領主が経営し、湯守とよばれる家臣三人を遣わして管理させていた。

入来温泉は胃腸などの虚弱の人によく、一年中湯治客が絶えることがなかった。

島津藩主や婦人も幾度となく訪れ、光久・重豪夫人・斉宣なども来訪し、湯浴みを楽しんだとされ、入来温泉は賑わっていたと思われる。

マップ:入来温泉 湯之山館

梅峯院について

入来の温泉開発に力を注いだ人は梅峯院(ばいほういん?)という人物だ。

梅峯院(1669年~1734年)は薩摩藩第2代藩主(19代当主)の島津光久の娘で、入来院重治(入来院氏19代当主)の妻。幼名は亀。

夫である重治亡き後も、藩主の娘であり、相当な権力を持っていた女性。

入来の領主入来院重矩(入来院氏22代当主)の腹違いの姉であった。

19代当主 入来院重治(しげはる)
20代当主 入来院重堅(しげかた)
21代当主 入来院規重(のりしげ)
22代当主 入来院重矩(しげのり)島津光久の十七男

梅峯院は入来温泉の湯河内に「和尚湯」を新設して、僧侶達の専用の俗湯としたと記録されている。

温泉の鎮守社、熊野権現は通称「湯権現」といわれたが、この神社勧請も梅峯院ではないかといわれている。

入来院氏代々の墓地であるお石塔に、梅峯院のお墓がある。

お石塔配置図にある赤い円の場所が梅峯院の墓。

梅峯院のお墓は観音石像となっている。

マップ:お石塔

まとめ

梅峯院は、雪窓院(入来出身で島津貴久に嫁いだ人物)の玄孫。

貴久&雪窓院義弘家久光久梅峯院ときている。

温泉場の開発や温泉の鎮守社の勧請など、入来温泉の発展の立役者ではないだろうか。

入来出身の雪窓院の4代後である梅峯院が入来温泉の発展に力を尽くしたのは、なかなか面白い

今回参考にした「入来温泉史」には入来温泉の発展の歴史が色々のっているので、今後も発信予定。

雪窓院って誰?

関連記事:島津義久・義弘・歳久の母「雪窓院」の謎に迫る!

参考文献

・「入来町誌 下巻」鹿児島県薩摩郡入来町誌編纂委員会(執筆者:本田親虎)【昭和53年10月1日】

・「入来温泉史」入来町・入来教育委員会、入来の歴史を探り発展を願う会【平成7320日】

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ABOUTこの記事をかいた人

「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしていました。( 山城の観光記念符「城郭符」や、歴史和菓子「雪窓院」を企画など)