地域おこし協力隊として鹿児島県薩摩川内市の入来に移住!

こんにちは。”入来”に移住したスーグル(@vsoogle)です。

東京のIT企業で働いていた僕が、2017年3月から地域おこし協力隊として、鹿児島県薩摩川内市の”入来“(Iriki)に移住することに。ここでは地域おこし協力隊についてや、僕が移住した”入来”を簡単に紹介したいと思う。
※この記事は2017年3月に前のブログに書いた記事。

地域おこし協力隊

地域おこし協力隊とは、2009年に総務省によって制度化されたもの。都会から田舎へ移住し、地域おこしを行う。

地域おこし協力隊(ちいきおこしきょうりょくたい)とは、人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とした制度である。

出典:Wikipedia

【参考】総務省HPにある地域おこし協力隊の概要

薩摩川内市地域おこし協力隊の活動内容

薩摩川内市は鹿児島県の北西の位置にあり、  県内で最大の面積を有する北薩地区の中心都市。

薩摩川内市の地域おこし協力隊の担当は、業務内容ごとではなく、地区ごと分かれている。地区は向田、川内高城、市比野、入来、上甑島、手打、西山、黒木、西方の9地区。僕が赴任したのは入来という地域。ミッションは担当地区に入り、地域デザインプランナーとして、観光資源を活かした旅・食・品の商品開発及びプロモーションや、地域コミュニティ活動やその他地域おこしの支援活動だ。

入来という地域

入来は鹿児島県薩摩川内市にある地域で、昔の武家屋敷を残した地域、入来麓武家屋敷群がある。知覧麓武家屋敷群と出水麓武家屋敷群と並び、鹿児島三大武家屋敷群に指定されている。

旧増田家住宅

江戸時代までは延命院というお寺であったが、廃仏毀釈にて廃寺に。その後は増田氏所有で眼科となり、平成になり市に寄贈され、茅葺屋根が復元された。建物はおもてとなかえがあり、南九州特有の作りになっている。

茅葺門

鎌倉時代の武家門の形式の茅葺門。入来院家臣団の筆頭家老の屋敷。

清色城

中世の南北朝に築城されてと言われる清色城。入来院氏の居城でシラスの丘陵を利用した典型的な山城。山城の入口である堀切は迫力がある。

堀切の上から。入口が狭くなっているので、攻めにくい。

入来はもともと関東から入ってきた渋谷一族のうちの一つ、入来院氏が治めていた地域。鹿児島は島津氏しか知らなかったけど、渋谷一族の入来院、東郷、鶴田、高城、祁答院の五氏族と島津氏が争って、最終的に島津氏が薩摩を治めたっていうのを知り、めちゃくちゃおもしろいと思った。

さらに日本の封建制度を知る上で重要な資料である「入来文書」が存在し、封建制度を研究している方の聖地になっているそう。一般的な知名度はマイナーだけど歴史深い場所。

入来麓武家屋敷群

入来に興味を持った理由

鹿児島では、知覧と出水の武家屋敷群は比較的有名。しかし入来の入来麓武家屋敷群はかなりマイナーな場所。鹿児島生まれの僕でも29歳になるまで全然知らなかった。

入来について興味を持ったのは、鹿児島に帰省中の際に本屋で見つけた「薩摩川内えぴそーど100」という本。入来麓武家屋敷群や大宮神社の入来神舞など面白そうなものが紹介されていた。

調べてみると、歴史が深い場所。歴史が深いのにマイナーだというところも面白い。実際行ってみると観光地化されていないのどかな地域。古民家カフェもあり良さそうな雰囲気を感じた。

その後、鹿児島へのUターンを検討する際、薩摩川内市の地域おこし協力隊の募集があり、その中で入来地域も協力隊募集してたので、応募した。

やりたいこと

山城や武家屋敷があり、鎌倉時代からの歴史もある地域なので、武士、サムライをキーワードに何かビジネスにできないかなと思っている。入来ではサムライツーリズムというサムライ体験もあるので、サムライというコンテンツをもっと拡大していきたい

ゲストハウスやカフェ的な人が集まれる場所づくりもしたいし、畑や田んぼで作物づくり、狩猟もやりたい。

自分に何ができるのか、3年後どうなっているかで焦りもあるけど、田舎生活を楽しみながらやっていこうと思う。

2017年度の活動報告【2017年度】薩摩川内市 地域おこし協力隊活動一年目の振り返り

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    ABOUTこの記事をかいた人

    「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしていました。( 山城の観光記念符「城郭符」や、歴史和菓子「雪窓院」を企画など)