九尾の狐と那須の旅 ~ 涙雨に染まる殺生石 ~

2015年8月22日、夏の暑さがまだ残る日、私は上野駅から栃木へと向かう旅に出た。

午前11時08分、電車に揺られながら宇都宮へと向かう。その道中、マイセンのカツサンドとじゃがりこを楽しみ、旅の期待に胸を膨らませていた。

約2時間後、宇都宮に到着。

次の目的地は黒磯。13時10分の電車に乗り込むと、疲れからかすぐに眠りに落ち、目が覚めると黒磯に到着していた。

黒磯で降り立ち、カフェドグランボアへと足を運ぶ。

そこで注文したグランボアライスは、バターライスにひき肉のあんかけがかかり、予想以上に美味しく旅の始まりにふさわしい一皿だった。アイスティーを楽しみながら、しばしの休憩を取った。

午後3時、黒磯駅から那須湯本行きのバスに乗り、約35分のバスの旅で那須湯本に到着。

那須温泉神社へと向かい、那須与一と殺生石がデザインされた御朱印帳を購入し、御朱印をいただく。

この神社は、平安時代の名将那須与一にゆかりがある。与一は源平合戦で扇の的を見事に射抜いた逸話で知られる。

御朱印帳には渋い那須与一や殺生石のデザインが施されていた。九尾の狐のデザインもあればさらに魅力的だろうと感じた。

次に訪れたのは殺生石。

伝説が息づくこの場所に足を踏み入れると、突然の雨。この雨は歓迎されていない雨であろうか。それとも玉藻前の涙であろうか。

石は、かつてこの地に現れた九尾の狐が変身した妖女、玉藻前が討たれ、その怨念が宿った石とされる。

この石からは毒ガスが噴出し、近づく生物を殺すと言われているため、「殺生石」と呼ばれている。

松尾芭蕉もこの地を訪れ、「石の香や夏草赤く露暑し」と詠んだ。

殺生石からは有毒ガスが放出され、緑豊かなはずの夏草が赤く枯れ、涼しいはずの露が熱く沸騰する。玉藻前の妖気がまだ漂っているのだろうか、と芭蕉は感じたのかもしれない。

神秘的な雰囲気が漂う中、熊出没注意の看板が目に入り、少し緊張感が走った。

那須湯本から再び黒磯駅へ戻るバスに乗る。

黒磯駅から宇都宮への電車は17時35分発で、18時27分に到着。

宇都宮では、餃子で名高い「宇都宮餃子館」に立ち寄り、ニンニク餃子を堪能。ニンニクの風味が効いた餃子は、疲れた体に活力を与えてくれた。

19時14分発の電車で東京へ戻る。

帰りの道中、たこ焼きとたい焼きを買って小腹を満たし、21時11分に東京に到着。この一日の旅は短いながらも充実し、心に深く刻まれるものとなった。

那須の自然と歴史に触れたこの旅は、今も鮮やかに心に残っている。

私は安倍晴明が好きで、その関連から九尾の狐にも興味がある。九尾の狐は日本各地に伝説が残っており、いつかそういった場所も巡ってみたいと願う。この旅を通じて、その思いは一層強くなった。

AIで作成した九尾の狐

その後・・

2022年3月、殺生石を訪れてから数年後、SNSで殺生石が真っ二つに割れているとの投稿を見かけた。

「九尾の狐」伝説の「殺生石」が真っ二つ…SNSでは「狐が復活しないといいけど」

九尾の狐が封印から解き放たれたとの噂が立っている。今はどこかでおとなしく力を蓄えているのかもしれない。

九尾の狐は絶世の美女と伝えられている。この時期に美女を見かけることが増えたなら、それは九尾の狐かもしれない。

AIで作成した玉藻前

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「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしていました。( 山城の観光記念符「城郭符」や、歴史和菓子「雪窓院」を企画など)