令和時代、御朱印狂想曲の果てに。

令和時代に入り、御朱印ブームがさらに加熱している。御朱印を集める方が増え今まで知られていなかった神社仏閣にスポットが浴びる一方、参拝客のマナーの悪さや御朱印の転売などが問題になっている。

「これから御朱印はどうなっていくのか?」

自分の御朱印歴を振り返りながら、改めて御朱印について考えてみたい。

はじめに

令和の改元の際、御朱印に関するニュースが話題となった。

明治神宮で約8時間の御朱印待ちの行列ができたという。彼らの目的は令和元年初日の日付が入った御朱印だ。

しかし、このニュースの一番の問題は行列の件ではない。転売で27万円の値がついたことだ。以前より限定御朱印がネットオークションに出品され話題に上がることはあったが、今回のは額が桁違いだ。

僕と御朱印

御朱印を集め始めてからのことを振り返りたいと思う。

御朱印との出会いは、奈良の薬師寺。2009年3月、サークル旅行で奈良へ行った際、薬師寺にて後輩が御朱印を頂いているのを目撃。そこで御朱印の存在を知る。

2009年4月に就職により上京し、東京の九段下にある靖国神社にて初めての御朱印を頂く。2つ目は明治神宮。3つ目以降は鎌倉のお寺だった。

最初の御朱印は平成二十一年四月二十六日

1冊目の御朱印帳は、神社とお寺の御朱印を混在して頂いていたが、2冊目以降は神社とお寺で分けて頂くことにした。

ちなみに、僕が御朱印にハマった2009年当時は御朱印を集めている芸能人(小沢真珠さんや岡田義徳さん)がテレビ番組で御朱印を紹介したこともあり、ちょっとだけ御朱印ブームになった。書籍はなかったが、ブログに情報をアップしている人が増えつつある時期だったと思う。

しばらくして何ヶ所目かの御朱印をいただく頃には完全に御朱印集めにハマっていた。その時は集めることに夢中になり、一日に何件も神社を訪ねることがあったほど。以前から神社仏閣巡りが好きだったので、休みの度に出かけていた。

今考えると、この時は自分の中での御朱印ブームが加熱していた。参拝より御朱印集めが目的になっていたと思う。

暫く経つと落ち着いてきたのか、余裕を持って御朱印を集める事となった。御朱印帳を持参していない時に神社に行くことがあっても、また参拝に来ようという感じで。限定御朱印も頂ければいいなーというスタンスで行き、頂けなくても今回はご縁がなかったということで参拝して帰ることもあった。

ちなみに、鹿児島に来てからは御朱印を頂く頻度が減った。関東に比べると神社仏閣が少ないし、そもそも行く余裕があまりない。

僕が地域おこし協力隊をやっている時には、オリジナル御朱印帳作りワークショップなるものを開催したりした。

公民館で御朱印を展示した時は、御朱印を初めて見る方もいれば、御朱印帳を持ち歩いてる方もいて、御朱印トークに花が咲いた。

公民館にて御朱印を展示
御朱印帳作り体験コーナー横で御朱印帳を展示したときのもの

「自分で作る!御朱印帳ワークショップ」イベントレポート!

御朱印について思うこと

転売について

多くの人がそうだと思うが私は否定的なスタンスだ。人が頂いた御朱印に高い金を出してまでは欲しくはない。

御朱印は参拝の証だと思うので、基本的には自分で頂くことに意味があるのではないか。

とは言うものの、お土産やプレゼントとして家族や友人にあげるのは別に良いと思う。お守りと同じような感じで。

ちなみにネットオークションには戦前の御朱印も出品されている。かつて大陸にあった神社の御朱印もある。さすがに大陸にあった神社となるともう手に入れることはできないので、資料的価値がありちょっと欲しいと思った。

限定御朱印について

限定御朱印とは、例大祭などの決まった日に出される御朱印だ。普段の御朱印とは異なり、カラフルなデザインのものが多い印象を受ける。

以前は、カラフル御朱印といえば新橋にある烏森神社くらいしか知らなかった。ちなみに、限定御朱印なる存在も烏森神社の雛祭りで初めて知ることとなった。

新橋にある烏森神社の御朱印はカラフルなデザイン
烏森神社の大祭と例大祭の御朱印

限定御朱印のように決まった日だけしか販売されないものだと、レアリティが高く欲しがる人が多い為、転売する人が出てくるし、現地に行けない人が購入する。転売目的で殺到してしまう状況になると残念だ。

鹿児島では蒲生八幡神社さんがアイデア上手だ。季節ごとに限定御朱印があり、僕は完全にファンになってしまった。

・【日本一の大楠】蒲生八幡神社の限定御朱印まとめ

御朱印の横展開

数年前からお城の御朱印というものもある。城御朱印、城郭符、御城印などで呼ばれている。

お城は神社仏閣とは違い御神体がないから不謹慎だ!という意見を見かけたことがある。確かに参拝の証である御朱印とは違う。便宜上、お城の御朱印と呼ばれているが、あくまでも観光記念符としての商品だ。

自分も地域おこし協力隊時代に山城をPRする観光記念符として城郭符を作成・販売した。当時はお城の御朱印は既に存在していたが、御朱印とは違うことを強調したかったので、新たに「城郭符」と名付けた。

さいごに

家にある御朱印帳を見直してみると、御朱印を頂いた時のことが思い出され懐かしくなる。

集めた御朱印をどうするのか?という意見があるが、僕の場合、最終的には棺桶に入れて欲しいと思っている。しかし、たくさんあるので棺桶に入りきれるか微妙なところだ。

神社の御朱印帳が19冊
寺の御朱印帳が10冊
手作りのオリジナル御朱印帳が3冊

将来的にもし資料価値が出てくるなら資料として残して欲しい。今の時代の御朱印は大量に出回っているからそこまでにはならないかもしれないが。

最近思うことは、すでに御朱印は完全に観光商品化しているということ。しかし、ニュースを騒がせているが悪いことばかりではなく、参拝客を増やすツールとしてうまく機能している面があるし、神社仏閣の収入源としての役割も大きいのではないか。

特に、時期ごとに発行される限定御朱印は定期的に参拝に来てもらう良い機会だ。

これからの御朱印は、さらに商品化が進み、特に普段頂ける御朱印とは別の御朱印(限定御朱など)は、参拝の証という意味が薄れてくると思う。

しかし、行き過ぎたブームは次第に沈静化していくのではないかと思う。ブームになったものは冷めていき、むしろこれからはブームにとらわれない形で御朱印は定着していくのではないか

はじめにで述べたような御朱印関連のニュースはあまり良くない報道ばかりあるが、これはアイドルファンや鉄道ファンの一部の過激な言動に批判が来るのと同じようなもの。すべてが悪いわけではないが、全体がネガティブに見られてしまうことがある。

モラルを持って行動することが自分たちの好きなことを守ることになる。

御朱印の文化が加熱によって無くなるか、良い形で発展していくかは、結局は自分たちの行動しだいだろう。

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ABOUTこの記事をかいた人

「埋もれた歴史を発掘・発信」をテーマに薩摩の地でイベント企画や商品開発、情報発信をしていました。( 山城の観光記念符「城郭符」や、歴史和菓子「雪窓院」を企画など)